社長は
肝っ玉母ちゃん的存在

 昨年末のある日、朝倉さんが勤める大伸ワークサポートとの打ち合わせに向かう三宅さんに同行した。同社は掲載企業のなかで応募率2位の人気を誇る。

 三宅さんは社長の廣瀬伸恵さん(42)に、雇用した人のその後や、応募してきた受刑者の進捗状況を聞いていく。

「○○さんはどうですか?」

「うちで働いて3日後に無銭飲食で警察に捕まりました。弁償して連れ帰ったけど、また4日後に飛んで(突然いなくなること)」

「××さんとは?」

「雇うつもりで、手紙のやりとりはしています。たぶん薬(覚せい剤)なので、やめる覚悟を根ほり葉ほり聞いている感じですね」

 同社では17歳から69歳までの男性37人が働いている。そのうち9割近くが元受刑者だ。『Chance!!』のほかにも、出所後の指導をする保護観察所や知人などから頼まれて雇っている。

 廣瀬さんは『Chance!!』のことを手放しで称賛する。

「こんなのを待ってました。受刑者専用の求人誌なんて、ありそうで誰も思いつかなかった。私も『Chance!!』があれば応募したかったですよ」

 廣瀬さん自身、2度の服役経験がある。両親の離婚を機に非行に走り、18歳でレディースと呼ばれる暴走族の総長に。覚せい剤の売人をしていて逮捕され20代の5年間を刑務所で過ごした。妊娠中に再び逮捕され、獄中出産。「こんなかわいい子を、こんな中で産まなきゃよかった」と、初めて自分のやってきたことを後悔した。

大伸ワークサポートの廣瀬社長と打ち合わせ。就職希望者とのやりとりを三宅さんに相談する場面も 撮影/伊藤和幸
大伸ワークサポートの廣瀬社長と打ち合わせ。就職希望者とのやりとりを三宅さんに相談する場面も 撮影/伊藤和幸
【写真】廣瀬社長や社員たちと、笑顔で食卓を囲う三宅さん

 27歳で出所したが、仕事は見つからない。履歴書には長い空白期間がある。嘘はバレると思い「刑務所にいた」と正直に言うと、どこの会社も雇ってくれない。介護の資格を取り、何も言わずに介護施設で働いたが、前科があることがわかるとクビになった。

刑務所を出てきたんなら、俺んとこ来いよ」

 途方にくれる廣瀬さんを救ってくれたのは建設会社の社長だ。現場で雑用をこなすアルバイトから始め、9年前に独立して、大伸ワークサポートを立ち上げた。

 最初は食べるだけで精いっぱいだったが、元受刑者の就労支援に目を向けるようになる。

「やり直そうとする人の気持ちを理解してあげられるのは、私なんじゃね? と思って(笑)。でも、廣瀬は過去がひどすぎるから、裏で暴力団とつながっているんだろうとか、全っ然、信用されなくて……。それが変わるきっかけをくれたのは、三宅さんなんです

 2年前、18歳の少年が『Chance!!』を通じ大伸ワークサポートに応募してきた。その少年はひどく荒れていて保護観察所ですら雇用を不安視するほど。だが、廣瀬さんは反対を押し切って少年を雇い、更生させた。その一件で周りの見る目が変わったのだ。

「彼は両親の所在が不明で幼少期から施設で育ってきたんです。非行に走る子って、親から虐待を受けていたり家庭の愛情を知らないことが多い。だから“何があっても私は見放さないからね”と言って、居場所を作ることがいちばんだと思っています。

 うちに来たら、まずご飯を食べさせます。みんなで食卓を囲んで、今日は何があったとか話すだけでも、受け入れてもらっていると感じると言われたので、どんなに疲れていても作ります。みんなわが子だと思って、栄養バランスも考えて、毎日、安い食材を探し回っていますよ(笑)

 この日のメニューはすき焼きときのこ汁。社宅に住む10数人が廣瀬さんの自宅に夕飯を食べにくる。廣瀬さんはみんなの様子に目を配り、悪いことをすれば正座をさせて厳しく叱り飛ばす。まさに肝っ玉母ちゃんという感じだ。

 廣瀬さんとの打ち合わせを終えた三宅さんも一緒に食卓を囲む。

「三宅さんみたいな髪の色がいい。どうしたらそんな色にできるの?」

 髪を明るく脱色した若い社員から聞かれた三宅さん。

「生きてるだけ(笑)」

 真顔で答えて、みんなの笑いを誘った。