デビュー当時の小泉孝太郎 撮影/週刊女性写真班
【写真】デビューしたてのSMAPが、初々しくてカワイイ!

不安しかなかった
小泉孝太郎の当初

 また、期待……というよりみんなが不安しか抱かなかったデビューの後、なんだかいつの間にか売れっ子になってしまった芸能人もいる。小泉孝太郎だ。

 小泉のデビューは鮮烈だった。父・純一郎が現役総理のタイミングに芸能界入りしたまぶしすぎる2世。2001年公開の映画『大河の一滴』試写会の会見場は小泉ジュニア初お披露目の場と化し、マスコミが大挙して駆けつけたものだ。しかし、それは金の卵の将来性を期待したからではなかった。

「当時、われわれはあの会見以上のものを孝太郎に求めていませんでした。世間の興味が最高潮のデビュー会見こそがピークで、その後、彼はすんなりフェードアウトすると思っていましたから」(芸能レポーター)

 鈴木さんは役者・小泉孝太郎についてこう評価する。

「育ちのせいなのか、どことなく品があるんですよね。現代は“品”を感じさせる俳優ってほとんどいないので、それが功を奏したんだと思います。また、その爽やかさがあるからこそ“裏がある”役がこなせるようになった。あと、ムロツヨシと仲がよいというのも大きいですよね。世間から『面白い人だな』と思われると、なかなか人気も落ちない気がします」

 今やカリスマ的人気を誇るミュージシャンの米津玄師も数年前は「ハチ」名義でネットに自作曲をアップするニコニコ動画が主戦場のアーティストだった。そのころの米津の印象を鈴木さんが語る。

「7年ほど前に『SCHOOL OF LOCK!』(TOYKO FM)というラジオ番組に関わっていたのですが、この番組には彼も何度か出演していました。放送終了後は当日の書き起こしをホームページに載せるのですが、米津からは『顔は出したくない』とリクエストがあったみたいで背後からの写真ばかりでしたね。どうも、学生時代から容姿にコンプレックスを持っていたようです」

 番組には学生からのメールが数多く寄せられ、米津はその投稿に「自分も悩んでいて~」と真摯に返答していたという。悩める若者の代弁者であり、彼自身も悩める若者だった。

のちに彼はニコ動にアップしていた曲をすべて削除しています。それらは人から受けた影響が色濃く出すぎていて、本人からすると不満足な出来なのかもしれません」(鈴木)

米津玄師(YouTubeより)

 その後、2018年に『Lemon』のヒットで大ブレイクした米津。ただ、ニコ動界隈では米津のほかにも数組の有望アーティストが存在し誰が米津のような存在になってもおかしくない状況だった。誰も期待されていなかったし、誰が成功してもおかしくない土壌だったのだ。

『ハチ』だったころの彼を知る人間からすると、今の米津玄師の成功は感慨深いと思います。あの急激な売れ方には、本人も信じられないのでは」(鈴木)

 まさに、ドラフト外からの成功だ。期待値外だからこそ、きらめくことができる存在も多いのだ。