「うち、ひとりになっちゃった」

 海音ちゃんのことを思うと、泣きごとはいっていられないが隆子さんにとっても、純さんは大切なひとり息子だった。

「でも、5日に火葬することができたので、パパとママを一緒に連れて帰ることができたんです。これで3人が、やっとそろいました」

 それでも、海音ちゃんにはっきりと「死」について話すことはできなかった。

 ママの遺骨を預けているお寺に行ったときのこと。

「“ママに会いに行こう”っていったら、“行きたくない”っていうんです。もう、お姉ちゃんのところに行っちゃったことが、わかったんでしょうね。だけど、“やっぱりママに会ってくる。そのかわり、誰も来ないで。うち、ひとりで会う。あーちゃんも来ないで”っていうんです。そして、海音ひとりでお寺の中に入って行きました」

 中での様子は、後にお寺の奥さんに聞いて、またも孫の毅然とした姿に驚かされた。

 海音ちゃんは、ママの遺骨に優しく手を置いて、

海音さんが転校した学校の窓から見える、瓦礫の山('11年4月) 撮影/週刊女性写真班
海音さんが転校した学校の窓から見える、瓦礫の山('11年4月) 撮影/週刊女性写真班
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「ママ、お姉ちゃんのところに一緒に連れて行ってあげるからね。ばーばもひとりじゃかわいそうだから、ばーばも一緒だよ」

 と、母方の祖母のことも思いやり、肩を震わせ大粒の涙を流していたという。

「お寺から出てくる直前に、一生懸命、涙をふいている姿が見えました。外に出てきたときには、泣いてないふりをして……」

 隆子さんは、そんな孫の姿を見て「本当に強い子」だと実感したが、海音ちゃんの本心を垣間見た言葉もあった。

「熊谷家は、うち、ひとりになっちゃった」

 突然の言葉に隆子さんは、

「あーちゃんも、じーじも同じ熊谷家なんだよ」

 といったが海音ちゃんは、

「うちの熊谷家は、パパとママとお姉ちゃんだけなの。だから、うち、ひとりしかいないの。あーちゃんの熊谷家とは違うの」

 これには、なんていったらいいのか、言葉に詰まってしまったという。

「でも、パパとママも見つかり、これでお姉ちゃんと3人そろうことができ、今はホッとしています。海音は家に帰り、3人に手向けたお花が少しでも枯れると“新しいお花に替えてあげなきゃ”って、毎日、手を合わせています。私たち夫婦は、この子に生かされているな、ってすごく感じるんです。3人が亡くなったときは、海音ひとりが残され、あまりにも不憫で、一緒に死ぬことも考えました。どう育てたらいいのか、何度も泣きました。でも今は、海音にとても大きな力をもらっています

 きれいな花を見れば、パパとママとお姉ちゃんを思い出し、夜空を見上げれば、いつでも3人に会える。

 そんな海音ちゃんは、また祖父母を元気づける源にもなっている。