ゆりちゃんはちょっと違う

「テニス部のキャプテンに名乗り出たことをきっかけに、悪口を言われるように。次第にエスカレートしてテニスボールを当てられる暴力を受けていたことをテレビ番組で告白しています。またクラスでもギャルのグループに入ろうとしたところ、“ゆりちゃんはちょっと違う”と仲間はずれにもされたそうです」(お笑いライター)

 彼女がいじめられていることを知っても、父親は動じなかったという。

「私はPTAの役員をしていた関係で先生とよく話をしていたので、“どんな環境にも、いじめはあるやろな”と思っていました。だから娘がいじめられていると聞いても驚きはしなかったですね。

 原因は必ずしもいじめている側だけにあるとも考えていないので、娘のことは信じつつも娘の言動にまったく非はなかったのか? ということを、幼稚園から続けている“今日でき”の延長線で話を聞きました。これまでの親子関係がありましたので、娘も素直に話してくれました」

 父親の寄り添った行動が彼女の支えになったようで、

《“明日はこうやってみたらどうや?”とかアドバイスをくれました。(中略)そういうのに毎日支えてもらっていたんだなと思います》

 と、前出の番組で明かしていた。いじめという現実から逃亡したい……という気持ちもあったのか、このころから映画に夢中になり、作品を通して英語も学んでいくように。

よく映画の登場人物のモノマネを、私たちに披露してくれましたね」(母親)

 日本でも大ヒットした映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズに大ハマり。主演を務めたマイケル・J・フォックスに会いたいという一心から、一時は海外の高校に進学を考えたほど。

「中学3年生のときに、この映画をテーマにして英語のスピーチコンテストに出場。2019年にはアメリカの人気オーディション番組に出演して話題になりましたが、中学時代から多くの映画に触れたことで海外でも通用する笑いの感覚が身についたんでしょうね」(前出・お笑いライター)

 芸人を目指し始めたのは小学生のとき。吉本新喜劇で山田花子や島田珠代が活躍している姿を見て、“ここなら自分でもスポットライトを浴びられる”と直感した。関西大学に通いながら養成所に必要なお金をアルバイトで貯め、大学4年生のときに吉本の門を叩く。

「養成所の卒業公演で優勝し、首席で卒業。優勝の特典としてデビューから1か月間、毎日仕事が入ったスケジュール帳が贈られました。おかげでデビューから瞬く間に関西では知られた存在になりました」(在阪テレビ局関係者)