料理人から掃除屋の社長へ

 高江洲は、沖縄県出身。長男で2歳下の弟と5歳下の妹がいた。決して裕福な家庭ではなかったが、「大きくなったら社長になる」という夢を持ち続けてきた。中学生になると、自分で稼いでいくには手に職をつけたほうがいいと考えるようになっていた。そして、同級生の「一緒に料理人にならないか」という誘いに乗って、工業高校の調理科に入学。高校卒業後、1年間、沖縄で働いた後に上京し有名ホテルの中華料理部門に就職した。夢は、理想の店をオープンさせ、そのオーナーとしてお金持ちになることだった。

 しかし、当然のことながら、最初のうちは下働きばかりで給料もわずか。高江洲は開業資金を貯めるため、休日にハウスクリーニングのアルバイトを始めた。

私は料理が大好きでした。でも、バイトで始めたハウスクリーニングもだんだん面白くなっていきました。掃除屋の車の荷台を見ると、道具一式がそろっています。それらの値段を調べるうちに、100万円もあればそろえられることがわかったんです

 このまま料理人の道を選んだとしても、自分の店を出せるころには40代半ば。それに比べ、ハウスクリーニングは元手がかからないうえ、大きな店舗も必要ない。それで心を決め、ホテルは退職した。

「しばらくは、昼は清掃業、夜は居酒屋でなんとかしのぐ生活でしたが、1年後に独立しました。弟が大学に通うための仕送りが大変だったこともあって。ハウスクリーニングで開業して、遠回りしてからの料理でもいいじゃないかと思ったわけなんですね」

 1995年の夏、25歳のときにハウスクリーニングと店舗清掃を業務とする「そうじ屋本舗」を開業し、晴れて念願の社長となった。

 社員も少しずつ増やし、2001年には法人化。売り上げも月600万円以上あった。

調子に乗ってしまった。毎晩のように豪遊ですよ。羽振りがよかったですから。それが間違いの始まりだった

 そして、従業員の不満に気づかぬまま、愛想を尽かされることになる。

社長、あなたには経営者としての資格はありません

 ある日、高江洲は社員たちに囲まれてそう宣言された。クーデターである。

 右肩上がりだった業績も落ち込みが目立つようになり、借金の額もかさんでいた。

 得意先に根回しを図っていた社員らは、社長1人を残して総辞職。後に、別会社を設立し、顧客を引き継いで業務を続けると決めていたのだ。