18歳のときからずっと死にたかった

 裁判員からも質問があった。

――そういう鉄パイプを持った人に「追いかけられてみたい」というのは怖くないですか?

「理解してもらえるかわからないのですが……、心霊スポットとかも、ほかの子は単にスリルを求めていたかもしれないですけど、僕は、そういう現象を信じていたから、体験したいという気持ちで。追いかけられてるとか、石投げられるのも、怖いという印象はなかったです」

「小牧城は距離があったけど、河渡橋だと近くて行きやすかったので、何回も行くっていうふうになっただけで。それと、心霊スポットより確実に恐怖感っていうのがあったので、だから何回も行きました」

 さらにBは、なぜ7回も河渡橋へ行くことになったか、こう述べた。

「僕はずっと18歳のときから死にたかったので、何も考えてなかった。死にたいと思っていると、他人がどう思っているかわからないですけど、僕は何もかもどうでもいいと思っていたんで、河渡橋へ行くことも特にやめようとかも言わなかった。全てにおいてどうでもいいと思っていた。だから河渡橋へ行くのも何でもいいやという思いでした」

「特に行きたくてしょうがないわけでもなく。僕が消極的だったわけではないですが、たまたま7回行っているのは、結局Cの家に連続して泊まるというのがよくあったので」

渡邉さんたちが暮らしていた河渡橋西詰下に、事件後すぐに置かれた献花台(筆者撮影)
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――どうでもいいのに口火を切るようなことをしてる、それもどうでもよかったんですか?

「ハイ、どうでもよかったんで、何か具体的なことは考えず、そう発言していただけです」

――どうでもいいという考えは今でも持ってる? 事件については?

「事件については……、全員が僕のような考えではないのに、僕の勝手な考えで、アイさんが、夜も眠れないくらい怖い思いをさせて、渡邉さんの命を奪ったことには、反省しています、が、そのあとの自分の人生はどうでもいいという思いです」

 家族への思いを聞かれると、「父と母は面会のときには笑って話してくれて、妹も僕のことを早く会いたいって言ってくれていると聞きましたが、それでも僕は両親に対して、もっと面会に来てほしいと言ったり、本の差し入れを何回も要求して、金銭的にも迷惑をかけている。それをやめることができない。自分が許せないです」

 父親は、Bのことを「手のかからない子でした」と証言していた。「家族みんな仲がよく、友だちのこともよく話してくれました」と。AもBも、親の前では乱暴を働くこともない、家族思いの「優しい、いい子」だったのだという。