明菜にチャンスが巡ってきた

 過去のことを蒸し返してなんですが、マッチと中森明菜が交際していたことはよく知られている事実です。かつて明菜が「お母さん」と呼んでいたディレクター、木村恵子氏が書いた『中森明菜 哀しい性』(講談社)という本があります。木村氏は一時期、明菜のビジネスパートナーだった人物で彼女の写真集を制作していたのですが、決裂。木村氏は明菜側からの一方的な契約破棄の無効と損害賠償を求めて提訴しました。

セクシーな黒衣装を身にまとった中森明菜('87年)
セクシーな黒衣装を身にまとった中森明菜('87年)
【写真】マッチの隣で、明菜は憔悴した表情…芸能史に残る「金屏風会見」

 裁判を起こすまでにこじれた関係性の人をよく書くわけはなく、そのあたりを頭にいれて読む必要がありそうですが、明菜は「好きになったら命がけ」のようです。

 信用したスタッフに実印を簡単に預けて金銭トラブルに巻き込まれてしまう。貧乏性で自分には全くお金を使わず、シャネルの偽物を身に着けていたりするのに、マッチには一着100万円もするスーツを何着も買ってあげたり、マッチに頼まれるままに「マンション購入資金」として7000万円ものお金を渡すなど、金銭的にだいぶ貢いでいたようです。一緒に暮らしていたころは、マッチの帰りが遅いとマンションのエレベーターの前や、玄関で座って待っていたそうですが、ここまで来るとちょっとヤバい感じもします。

 しかし、ここまで思い詰めて相手を好きになるタイプの女性は、“おねだり”も「それだけ信用されている、頼られている」と思って嬉しかったのかもしれません。しかし、こういう関係はお互いに精神的、金銭的に消耗しますから、あまり長続きしないでしょう。

 明菜は自殺未遂事件以降、トラブル続きで、ファンの期待するような復活を遂げているとは言えないでしょう。明菜自身の判断力にも問題はあるような気がしますが、個人的にはメリー氏と明菜という二人の情の濃いオンナがマッチというヤバい甘え上手を愛した結果、業界に影響力がない明菜が“位負け”してしまったように見えて仕方がありません。

平成元年の7月11日、中森明菜(当時23歳)が近藤真彦(当時24歳)の自宅で自殺未遂。その年の大晦日に“金屏風会見”を開いた
平成元年の7月11日、中森明菜(当時23歳)が近藤真彦(当時24歳)の自宅で自殺未遂。その年の大晦日に“金屏風会見”を開いた

 しかし、メリー氏も齢90を超え、いつまでもマッチを守ってあげられなくなったのでしょうか。不倫をもみ消せる権力があると豪語していたマッチですが、今はSNSがありますから、一般人とて情報を拡散することはできてしまいます。

 この状態をジャニーズ事務所、もしくはメリー氏の影響力が弱い時代になってきたとみるならば、明菜にチャンスが巡ってきたということではないでしょうか。何もテレビに出たり、大きな会場でコンサートをする必要はないのです。今はYouTubeがありますから、彼女の望む形で歌う姿を見せることもできるはず。

 表立った活動をしていないのに、人々の記憶から消えることなく、再起が望まれる歌手は、明菜をおいてほかにいないでしょう。ちょうど今年は明菜のデビュー40周年。時代は明菜に味方していると私は思います。今こそ、明菜の歌手としての底力を見せてほしいものです。


<プロフィール>
仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ。会社員を経てフリーライターに。『サイゾーウーマン』『週刊SPA!』『GINGER』『steady.』などにタレント論、女子アナ批評を寄稿。また、自身のブログ、ツイッターで婚活に悩む男女の相談に応えている。2015年に『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)を発表し、異例の女性向け婚活本として話題に。好きな言葉は「勝てば官軍、負ければ賊軍」