夏になると思い出される日航ジャンボ機墜落事故。毎年8月11日には、群馬県の上野村の神流川で「灯籠流し」が行われているが、昨年は新型コロナウイルスの影響で中止に。今年は村の職員が遺族に代わって灯籠にあかりをともす「置き灯籠」が行われることとなった。

 あれから36年目の夏ーー。

 1985年8月12日、日本航空123便が群馬県上野村の御巣鷹山に墜落した。乗客乗員524人のうち、犠牲となったのは520人。その中には、歌手の坂本九さんや元宝塚歌劇団の娘役で女優の北原遥子さんなど、多くの著名人も含まれていた。

 当時、『週刊女性』は事故の一報を受け、数人のカメラマンと記者が現場となった御巣鷹山に急行。中には、川の水を飲みながら山を登ったカメラマンもいた。そして、たどり着いた現場で、多くのマスコミが目にした現場は、まさに地獄絵図といっても過言ではなかったーー。

 そんな中、奇跡的に生存者が救助される。助かったのは、たったの4人。その中で、ひときわ注目を集めたのが、当時12歳の少女・A子ちゃん。一家で旅行中だったA子ちゃんは、同乗していた父・母・妹を亡くし、野球部の練習で留守番をしていた兄(当時14歳)と2人きりになってしまった。

 そんな失意のどん底にいる少女を、「少しでも元気づけたい」とアクションを起こした人物がいる。当時、神田正輝と結婚したばかりの松田聖子だ。自身のファンだというA子ちゃんを励ますため、聖子が届けた肉声の“テープ”、その中身とはーー。

『週刊女性』1985年9月10日号の記事を再掲する(今回、少女の氏名はA子さんと変更しました。ほかは掲載当時のまま)

  ◇   ◇   ◇  

 聖子のファンだったA子ちゃんに心からのプレゼント。夫・正輝も新妻の気配りに大賛成。色紙に託された情熱―――

『週刊女性』1985年9月10日号、当時の誌面
『週刊女性』1985年9月10日号、当時の誌面

ーーA子ちゃん、初めまして。松田聖子です。

 お身体の具合はいかがでしょうか。私の歌をよく聴いてくださっているということで、たいへんうれしく思います。

 そして今度、こうしてテープを通じてですけれど、お話することができて、とてもうれしいです。

 ……いろいろ、これから大変だと思いますけど、1日も早く元気になって、これからしっかり頑張ってほしいなと思います。

 私も、いま、お仕事はお休みしていますけど、また大好きな歌をうたえるように頑張るし、もしそうなったら、A子ちゃんにも歌を聴いてもらいたいし……。

 いろいろと辛いことがあっても、頑張ってね……。

 いつか会える日を楽しみにしていますーー

生存者の少女に届いた激励テープ

 日航機墜落事故から奇跡の生還をした、A子ちゃん(12歳)に松田聖子は、励ましの心をこめたテープを贈った。

 A子ちゃんは、群馬県高崎市の国立高崎病院で治療を受け、順調に回復、事故から15日ぶりに故郷の島根に帰った。

 そんなA子ちゃんに、全国から激励の手紙が寄せられている。その中に、聖子の励ましのテープもあった。

 奇跡的に生きのびたとはいっても、A子ちゃんはいっしょに乗っていた両親と妹を亡くしてしまった。

 墜落の恐怖と肉親を失った悲しみのあまり、病状は回復に向かってもA子ちゃんの心は閉ざされたままだった。

 悲しみとショックに閉ざされたA子ちゃんの心を開かせようと、治療にあたっている病院の副院長が、ふと音楽の話題を持ち出した。

 音楽に素直に反応を示したA子ちゃんはこのとき、「聖子ちゃんとチェッカーズの歌が好き」と答えたのである。

 このA子ちゃんのことを人づてに知った聖子は、8月18日、サイン入りの色紙に“A子ちゃん、早く元気になってね”とメッセージを添え、先の肉声の激励テープと『幸福物語』など8本のテープを贈ったのである。