「あきらめたくない」家族の思い

 訪問医療のよさは、「患者さんの情報量が多いこと」だと中村先生は話す。

「病院の外来だと、目の前の患者さんが話す内容が頼りだけど、訪問すると旅行の写真や賞状が飾ってあって、それを糸口に生活ぶりを聞けます。患者さん自身もお家にいる安心感で、よくしゃべってくれるので、病状を把握しやすいんです」

 そのためにも、「五感を総動員する」と中村先生。

 玄関のインターホンを押した瞬間から、スイッチをオンにする。

「ご家族が『はーい』って明るい声で出るのか、急いで直接ドアから出てくるのか。すべて大事な情報なので、見逃さないようにしています。これ、あんまり書いちゃうと、そこまで見られてる?って、ご家族が意識しちゃうかな」

 そんな話をしながら、次の訪問先でインターホンを鳴らすと、「はーい」、明るい声が返ってきた。

 ドアから顔を出したのは、母親・滋子さん(91)を介護している又吉千尋さん。

「滋子さん、来ましたよ!」、中村先生が大きな声で呼びかけると、滋子さんが右手を少しだけ動かす。その手を握りながら、「お加減どうですか?」、再び声をかける。

 滋子さんは2019年に重度のくも膜下出血を発症。

 手術で一命はとりとめたものの、「意識は戻らない可能性が高い」と診断された。

 しかし、家族は「できる限りのことをしてあげたい」と、在宅医療に切り替え、この2年、介護とリハビリに取り組んできた。

 千尋さんが話す。

「中村先生に来ていただくことにしたのは、退院のときにソーシャルワーカーから、『すごくフットワークのいい先生がいる』と推薦されたからです。実際、先生はどんな相談にも乗ってくださって。特にありがたかったのは、減薬をお願いしたとき、柔軟に対応していただいたことです」

 退院当初、滋子さんはほとんど反応がなく、寝たきりの状態だった。打開策を考えていた千尋さんは、投薬中の抗けいれん薬を減らすことで意識障害が改善する場合があるという情報を得て、中村先生に減薬を提案した。

 千尋さんが続ける。

「家族の気持ちに寄り添って、『やってみましょう』と、数か月かけてお薬を減らしてくださいました。そのたびに母の意識がはっきりしてきて、退院から5か月後には、口から食べられるようになり、半年後には『ありがとうございました』『みなさんのおかげです』と、話せるまでに回復したんです。これには驚きました。本当にうれしかったですね」

患者を診察しながら家族に様子を伝えるのも訪問医の仕事。薬の処方だけでなく、歯の治療のことなどさまざまな相談に乗る 撮影/伊藤和幸
【写真】ひとり娘で両親から愛情を注がれて育った幼少期の中村明澄さん

 脳の機能障害からか、今はほとんど発語がない状態だというが、リハビリは意欲的に続けている。

「理学療法士や私たちが補助をしながら、立位練習、ペダル漕ぎや、ハンドル回しをして頑張ってます。母こそ、パラリンピックの選手になれそうなくらいです(笑)」

 診察を終えた中村先生は、「この年齢で驚きの回復力です。娘さんたちの思いが通じたんですね」、穏やかに話す。

「あきらめたくない」家族の思いと、それに応えたい先生の思いが、奇跡の回復につながったのだろう。

 訪問宅では時間を気にせず、患者と向き合う一方、駐車場に戻ると、車内で忙(せわ)しくiPadを操作する。

車に戻ると、すぐにiPadの医療用チャットで訪問看護中のナースや事務局からの問い合わせに返事をする。緊急の場合は直接電話で指示を出す。1日中チャットと電話のやりとりが続く 撮影/伊藤和幸

「事務局からの連絡や、訪問看護中のナースからの問い合わせに、医療用チャットを使って指示を出しているところです。1日中、このやりとりが続きます」

 向日葵クリニックは、訪問看護ステーションも併設していて、医師と看護師の連携がスピーディーなことも特徴だ。

 訪問看護を行う、向日葵ナースステーション所長・安藤仁子(さとこ)さん(50)が話す。

「気になったことをチャットでドクターに報告すると、すぐに指示が入ります。急ぎの場合は電話で直接話します。薬の調整も、その場でできるので、患者さんも安心するし、私たちナースも不安がない状態で帰ってこられます」

 安藤さんは、中村先生の初診に同行することも多い。

「患者さん宅で、1時間も診察したあと、『先生はいらっしゃらないんですか?』って聞かれることがあります。中村先生は女性だし、看護師と間違われやすいんですね。でも、それ以上に、すごく親身で、偉そうなところがないから、医者に見えないんです。在宅医療には、ケアや家族指導も必要です。本当なら看護師が行うことも、中村先生はご家族が不安に思っているようなら、率先して立ち会います。私自身、25年近く在宅医療に関わって多くの医師を見てきましたが、中村先生は本当の意味で患者さんのために働く、数少ない医師だと思います」

 コロナ禍で、多くの病院が面会制限をする中、在宅医療を希望する患者は増えている。向日葵クリニックも、患者数が2割ほど増加し、120人を超えているという。

 中村先生が話す。

「日中は1~2人の医師で対応しますが、常勤は私だけなので、365日、24時間、いつも呼び出しに備えています。トイレにも電話を持って入るほどです」

撮影/伊藤和幸

 なぜそんなに頑張れるのか? 素朴な疑問をぶつけると、「もう生活そのものだから」、さらりと答え、短い沈黙のあとに言葉を足す。

「患者さんに必要とされ、仲間に恵まれて働ける今が、すごく充実しているからかな。昔の苦しかった自分に教えてあげたいくらいです。『大丈夫だよ。あなたにもいい未来が待ってるよ』って」