患者にのめり込む訪問医

 訪問医になって意外だったのは、自分の欠点が長所に変わったことだ。

「病院では効率が求められるので、患者さんのペースでゆっくり食事介助を手伝っていたら、ナースに『早く指示を出して』と急かされたことも。でも、訪問診療では、それが逆に喜んでもらえて」

 高齢者施設の訪問診療に行ったときは、「以前の医者は数をこなすように診察していた。こんなに丁寧に診てもらったことはない」と、施設長が感激の声を上げた。

 患者の容体が急変し、初めて救急搬送したときは、心配で病院まで追いかけたこともある。

「搬送の手配をしたら、私の役目は終わりなのに。当時の院長に、『そこまでしなくていい』と呆れられました(笑)」

 とはいえ院長は、患者のために身を粉にして働く姿に、適性を見抜いたのだろう。

 2年後、高齢のため引退する自分の後継者として中村先生を指名した。

「患者にのめり込むタイプの私は、在宅医療に向かないと周りにも心配されたのですが、それでも引き受けたのは、自分の目指す医療がここにあると確信できたからです」

 患者思いの訪問医として評判は広がり、次々と新しい患者が紹介された。

 中村先生は慢心することなく、往診の合間に勉強を続け、在宅医療専門医、家庭医療専門医、緩和医療認定医の資格を取得。この道のエキスパートとして腕を磨いた。

 2017年には、現在の八千代市に場所を移し、「向日葵クリニック」を新規開業。

 訪問看護の「向日葵ナースステーション」だけでなく、がん緩和ケアの専門施設「メディカルホームKUKURU」も開設した。

「KUKURUは、沖縄の方言で“心”の意味です。がん終末期の患者さんを自宅で看取りたくても、在宅医療では医師や看護師がずっといるわけではないので、それが不安になったり、ご家族の介護負担が大きくなり、お家にいることが難しくなる場合があります。でも、病院に入院すると、面会が制限されてしまう。KUKURUは、看護師や介護士の介助を受けながら、患者さん、ご家族が安心して、自宅のように過ごせる場所なんです」

がん緩和ケア専門施設「KUKURU」は、全16部屋が個室でキッチンも完備。看護師、介護士が常勤する環境で自宅のように過ごせる 撮影/伊藤和幸
【写真】ひとり娘で両親から愛情を注がれて育った幼少期の中村明澄さん

 開設時には大きな借金もしたが、迷いはなかった。

「医療、看護部門と違って、赤字覚悟の経営です。患者さんとご家族にとって、どうしても必要な場所だと感じていたので、思い切りました」

 コロナ禍の今も、PCR検査で陰性が確認できれば、家族は付き添える。

 人生の最終段階を迎えた患者にとって、家族がそばにいる安らぎは大きい。

“逝き方”も人それぞれ

 在宅医療を始めて10年あまり。これまでに950人もの患者を看取ってきた。

「患者さんにとって大切なのは最期まで、その人らしく過ごせることだと思います。そのためにもご家族には、『頑張りすぎないで』と伝えています。後悔のない、完璧な最期を求めすぎると、無理をしてひずみが出てしまう。『ぼちぼちよかった』くらいがちょうどいいと思うので」

 それは、7年前に母親を看取った自身の経験からも言えることだという。

「母は重度の肝硬変で、沖縄から連れてきてからは、施設でお世話になりました。私には仕事があったし、高齢の父に看病は難しい。母は認知症の症状もあり、もともと神経質でおしっこが一滴でもオムツにつくと嫌がるほどだったので、家では対応できないと考えてのことです」

 容体が急変し、いよいよ覚悟を決めたときは、病院に搬送して延命処置をするか、父親の意見を聞いた。

「本当は、身体が死に向かっているのに、点滴などで延命処置をすると、むくんだり、のどがゴロゴロして、苦しむことが多いんです。でも、母はまだ75歳でしたから、父が数日でも長く一緒にいたいと望むなら、その気持ちを尊重しようと」

 結局、延命は選ばず、中村先生は仕事に行くギリギリまで母親の傍らで手を握り続けた。やがて断腸の思いで立ち上がったとき、信じられないことが起きた。

「もう意識もなく、譫妄(せんもう)で混乱していた母が、その瞬間だけ、われに返ったように、『あみちゃん、元気でね』って、はっきり言ったんです。ああ、思い出すと今でも涙が出ちゃう。それが母の最期の言葉でした」

 どこの家庭にも親子のいさかいはつきものだが、中村先生も過干渉の母親に反感を持った時期があった。しかし、母親のこの言葉で、すべてのわだかまりが消えたという。

「どれだけ大きな存在だったか身に沁みました。感謝しかなかったですね」

 今年4月に初めての著書、『「在宅死」という選択 納得できる最期のために』(大和書房)を出版。在宅死を選んだ患者と家族のエピソードがふんだんに盛り込まれている。

 長年、母親と確執があった70代の娘は、介護が必要となった98歳の母親の世話を精いっぱいし、「お昼寝しながら逝っちゃったの」と泣き笑いの表情を見せたという。

 80代末期がんの男性は、家族全員が看取りの態勢に入っていたとき、薬で小康状態を取り戻し、「おにぎりが食べたい」と。妻が好物の鮭でおにぎりを結ぶと、3口食べて、「ああ、おいしい」。これが最期の言葉になった。

 ひとり暮らしだった末期がんの50代男性は、「猫の世話がある」と入院せず、1日3回ヘルパーに食事とオムツの世話をしてもらい、愛猫に看取られてひとりで旅立った。

「人にはそれぞれ生き方があるように、“逝き方”も違います。どんな形でも、その人らしい最期だったらいいと思うんです。しっかり生き切った、本人がそう思えると、ご家族も納得できます。私の仕事は、医療を通して、そのお手伝いをすることだと思っています」

日々の話に「うん、うん」と耳を傾ける中村先生。ざっくばらんに話がしやすい雰囲気で、医師と患者という垣根を感じさせない 撮影/伊藤和幸