病気のことを忘れる時間

 中村先生は、医師のほかにもうひとつの顔を持つ。

「ずぶの素人ですが、仲間と一緒にミュージカルの舞台に立ってます」

 子ども時代に見た、名作『アニー』に魅了され、大学時代のサークル活動で舞台に立ったのが始まりだった。

 研修医時代は、病院内のホールで仲間とともにミュージカルを上演した。

「病院は治療する場所というイメージですが、大学時代に実習で行ったスウェーデンの病院は、カフェやアートがあって、患者さんが楽しめる環境でした。それに刺激を受けて、先生方を説得して実現したんです。研修医として何もできなかったので、せめて患者さんに楽しんでもらいたいと思って」

 ホールには400人もの患者が集まり、大盛況だった。

「上演後、患者さんたちが『病気のことを忘れて楽しめた』とアンケートに書いてくれて。1回限りの予定が、定期的にやらせてもらえるようになったほどです」

 勤務医時代には、聖路加国際病院名誉院長で当時102歳だった日野原重明さんが手がけた音楽劇、『葉っぱの四季・フレディ』にも出演。

 日野原先生のすすめで、2009年にNPО法人キャトル・リーフを設立し、以来、「いのち」をテーマに、病院や特別支援学校、高齢者福祉施設を回り、ボランティアでミュージカルを上演している。

「オリジナルで、みつばちとカエルの恋の話を作ったんです。みつばちたちは嵐で死んでしまうんだけど、人生を生き切った、自分たちのことを思い出してねと言い残す。カエルはその思いを胸に頑張って生きていくという話です。 命はいつか終わるもの。悔いなく生き切ることの大切さを、子どもたちにも伝えたいと思っています」

 ともに舞台に立つ、前出・堤円香さんが話す。

「彼女はすごく役に入り込むタイプですが、冷静に舞台全体を見る力もあります。彼女が男役、私が娘役で踊るシーンでは、私の手をグイッと引っ張ってきれいに回らせてくれて。自分をよく見せるより、相手を光らせることを考える。こんな役者、初めてだと思いました」

 コロナ禍の今、活動は休止しているが、「収束したら、すぐにでも再開したい!」と中村先生は意欲を見せる。

 プライベートでは、2010年に結婚。子どもはいない。

「子どもは自然にまかせた結果です。だけど、授からなくてよかったかも。こう見えて、そんなにメンタルが強くないので、子どもがいたら、仕事ばかりしてごめんねって罪悪感で押しつぶされていたかもしれないので」

 運転しながらそう話すと、赤信号で止まったとたん、持参したカレー弁当を急いで口に運ぶ。往診の合間に、車内で遅い昼食をとるのが日課だ。

昼食は持参した弁当を車内でパクつく。この日は手作りカレーとサラダ。健康のため、コンビニ弁当は控えるようになったとか 撮影/伊藤和幸
昼食は持参した弁当を車内でパクつく。この日は手作りカレーとサラダ。健康のため、コンビニ弁当は控えるようになったとか 撮影/伊藤和幸
【写真】ひとり娘で両親から愛情を注がれて育った幼少期の中村明澄さん

 将来の夢を問うと、返ってきたのは、やはり患者のためのことだった。

「高齢者や終末期の患者さんが、わくわくできる場所をつくりたいですね。歩くのが難しくてもラクに移動でき、川が流れる公園やホールがあって、食事やショッピングもできるような施設を。莫大な資金が必要なので、行政と協力しあえる仕組みをつくれればいいな。まだまだ妄想してるだけですが(笑)」

 患者を思う気持ちが人一倍強い中村先生のことだ。きっと動きだすに違いない。

「さあ、着いた!」、車を駐車場に止めると、患者が待つ家に向かう。

 その背中は、ちっとも大きくないのに、すごくたくましく見えた。

(取材・文/中山み登り)

なかやま・みどり ルポライター。東京都生まれ。高齢化、子育て、働く母親の現状など現代社会が抱える問題を精力的に取材。主な著書に『自立した子に育てる』(PHP研究所)『二度目の自分探し』(光文社文庫)など。大学生の娘を育てるシングルマザー。