自信がもてなかった中森明菜

 名実ともに時代のトップだった歌姫を、誰が壊してしまったのか――。当時の明菜をよく知るレコード会社関係者が振り返る。

平成元年の7月11日、中森明菜が近藤真彦の自宅で自殺未遂。その年の大晦日に“金屏風会見”を開いた
平成元年の7月11日、中森明菜が近藤真彦の自宅で自殺未遂。その年の大晦日に“金屏風会見”を開いた
【写真】白髪姿の中森明菜

「所属事務所やレコード会社との相次ぐ移籍トラブル、信頼していたスタッフや身内に騙されたりなんてこともありました。もちろんマッチとの大失恋、自殺未遂騒動も大きなダメージだったと思います。もし、あんなことがなかったら明菜さんの歌手人生はだいぶ違っただろうと思いますしね」

 だが、いちばんの原因は、

「いま思えば、明菜自身にあったんじゃないかという気もします。彼女はレコ大も獲って、どんなに売れても、どこまで人気者になっても、自信が持てなかったんだよね……」(前出・レコード会社関係者)

 それを感じさせる明菜の発言はいくつもある。過去の雑誌インタビューで、彼女は歌手という仕事に対する偽らざる気持ちをこう語っている。

《目の前の人たちがうれしそうな顔をしているから、私は歌うだけ。(中略)仕事に対してすすんでトライしようとか、才能をどんどん伸ばしていきたいというのがないから》(『JUNON』1992年1月号)

 そもそも明菜が歌手になったのも、自分自身のためではなく“家族のため”だった。

《歌手になりたい! っていう願望じゃなくて、タレントさんになればお金持ちになれると思ったから。小さいころから、みんなが「お歌が上手ネ」っていってくれたから、じゃあ“スタ誕”に出て歌手になって、家族に車を買ってあげようと、そういうことしかなかったの。(中略)後悔はすごいですよ。何で私、歌手になっちゃったんだろうって……》(同)

 別の雑誌では、6年に及んだマッチとの恋愛を振り返りながら、こう自嘲している。

《結局、女としてっていうより、人間として自信がないのね。いつまでたっても自信が持てないもの、私。“有名になった明菜ちゃん”からは、そんなこと想像できないって言われる。でもホントにダメなのね。もう自信のなさが染みついちゃってる》(『with』1993年11月号)

 歌手としてだけでなく女優業にもチャレンジした1992年、フジテレビ系“月9”ドラマ『素顔のままで』に主演。最終回視聴率31.9%を叩き出してみせたアーティストとは思えない発言だ。

「“23歳で結婚して25歳でママになったら、今の仕事なんてしたくない”っていつも言っていましたからね。そういう結婚願望……マッチとの恋愛も“自信がなくても歌い続けなくちゃいけない”っていう葛藤から生まれてきたのかもしれません」(前出・レコード会社関係者)

 その葛藤の中で、今も明菜はもがき続けているのかもしれない。だが、それでも“歌姫復活”を待ち続ける人たちがいる。

「40周年は、やっぱり本人の姿を見られなさそうで残念ですけど、私たちは待つのには慣れていますから(笑)。きっといつか、また歌ってくれるって」(前出・ファンの女性)

 その日を信じて――。