20年寝たきりの男性と出会って

 吉藤さんが早稲田大学で研究室を立ち上げ研究を進めていた2010年。大学在学中の結城さんは、大学でビジネスプランの講義を受けた後、吉藤さんに電話をかけた。

「オリヒメの研究を持続可能にするには起業したほうがいい。吉藤さん、30歳で死ぬんでしょ? 自分が死んだ後も維持されていく仕組みを作るには、会社にしなきゃダメ」

 それ以来、ビジネスコンテストに応募するようになり、いくつもの賞を受賞した。

「ビジコンで賞金や栄光は手にしましたが、それらはいっときのもので、お金は使えばなくなるし、栄光は時間とともに消えます。でも、いい出会いは、後の人生をずっと豊かにしてくれる」

 オリヒメ第1号ユーザーとなる株式会社リバネスの丸幸弘社長も、支援してくれた東京都職員も、総合病院の小児科でのテスト使用の実現も、コンテストで得た新たな出会いからつながった。

 屋久島キャンプから3年。2012年9月、コンテストで集めた資金をもとに起業。研究にはお金がかかる。1年半は平均月6万円ほどの給料でみんな働いた。このままでは食べていけないと思いかけたとき、『みんなの夢アワード』という大会で優勝した。

「武道館で8000人を前にプレゼンし、優勝したことで2000万円の融資が受けられました。そしてその大会をきっかけに、のちに親友となる番田雄太からメッセージが届いたんです」

 番田さんは、4歳で交通事故に遭い、寝たきりになった。あごを使ってパソコンを操作してメールを送ってきた。

「夢を共有させてください。もし夢が同じならば、力を合わせたいです」

 吉藤さんは、彼の熱烈でパッションあふれるメッセージに惹かれ会いに行った。

 番田さんはこう言った。

「俺は4歳からどこにも行けていない。オリヒメがあっても行きたい場所もなければ会いたい人もいない。オリヒメには足りないところがたくさんあると思う。私を仲間に入れてほしい」

 それまで吉藤さんは、「行きたいところに行けない人」について考えてきたが、番田さんは「行きたい場所や会いたい人を想像することすらできない」状況で20年を過ごしていた。そんな人たちがどうすれば自分の居場所を獲得できるのかを考えれば、高齢者や障害者、外出困難な人たちすべてが出会いや居場所を手にし、友達をつくることができるのではないか。

 オリヒメに腕が必要だと提案したのも番田さんだった。

「番田は交通事故以来、自分の腕を動かせませんでした。『腕がないと人間じゃなくなっちゃうんだ』と言いました。腕をつけて動かしてみると、コミュニケーションは円滑になり、周囲を和ませる力がオリヒメに宿ったんです。番田を講演パートナー兼秘書として2人で全国を飛び回り、1年後には契約社員として給料を払えるようになりました」

「一緒にいる気がするかどうか」にこだわったオリヒメ。表情は「能面」からヒントを得たという
「一緒にいる気がするかどうか」にこだわったオリヒメ。表情は「能面」からヒントを得たという