医学部卒業までの苦悩と焦り

 貴子さんの同級生で、現在は『Bella Beauty CLINIC心斎橋院』で院長を務める石川佳奈さん(38)も、5年生のときに出産して、1年留年している。子どもを育てながら医学部に通う大変さは、想像を絶していたという。「自分で産んでみないとわからなかった」と苦笑する。

「医学部の試験は事前に情報を集めることが必要なんです。私の場合、ゴルフ部仲間が上の学年にも下の学年にもいたので、留年してもテストの情報や資料集めに困ることはありませんでした。

 でも、前島さんは入学時からお子さんがいて部活をやる余裕もなかったと思うし、すごく苦労されたのでは。2回留年して、そのままやめてしまったり、自殺してしまう方もいるくらい大変な世界なので、相当努力されたと思いますよ」

 3年遅れで3年生になった貴子さん。みんなに後れをとった悔しさや焦りはあったが、落ち込んでいる暇はない。浪人時代は何か月も落ち込むことがあったが、大変な状況を何度も乗り越えてきたおかげで、気持ちの切り替えは格段に早くなったと笑う。

 試験前になると先生たちに必死に聞きまくった。

「どこが試験に出ますか?」

貴子さんがまとめたノート。付箋をびっしり貼って、わかりやすく工夫した
貴子さんがまとめたノート。付箋をびっしり貼って、わかりやすく工夫した
【写真】住み込みで家事を手伝ってくれた、母の睦子さん

 年下の同級生にも自分から積極的に話しかけて、少しずついい関係を構築。順調に進級していった。

 ところが、5年生のとき、ひどいうつ状態になってしまう─。

 きっかけは同級生の輪から孤立したことだ。授業の進め方で不満に思うことがあり、先生に直接抗議をしたのだが、それが裏目に出る。何の効果もなかったばかりか、学校側ににらまれたくない同級生たちに、避けられるようになったのだ。

「みんなが離れていって、あのときはツラかったですね。まずご飯が食べられなくなった。眠れないので、眠剤(睡眠薬)を飲んで寝ていたけど、量を増やしても効かなくなる眠剤地獄に入っちゃって」

 夫の充雅さんは仕事柄、朝は遅いが帰宅は夜の12時近くだ。そのころは深夜に妻の話を聞くのが日課だったそうだ。

「いつもワアーッとグチを言うので、『うん、うん。そうだね。ツラいね』と聞くしかない。そのまま朝の7時までということも(笑)。一度、朝の5時くらいにベランダに出たことがあって。うつの人は急に飛び降りたりするって聞くから、こっちもビクビクしてついていったら、朝日の写真を撮っていました(笑)」

 しばらくすると強迫観念にとらわれるようになった。試験会場に行く途中にゴミを見つけると拾わずにいられない。拾わないと試験に落ちると思い込んだのだ。

 精神科の先生に相談すると暴露療法をすすめられた。苦手なものに少しずつ慣れるという療法だ。ゴミを拾わずに我慢してみたら、意外とすんなりできた。

「私は単純なのか、先生に言われたことがストーンと入ってきた。実はこの療法が効く人はあまりいないと後から聞きましたが、私はそれで治ったんですよ」

 結局、1年留年して、6年生に。最後の卒業試験でも失敗してしまい、翌年、卒業した。

 医師国家試験もすんなりとはいかず、3度目の挑戦で合格した。医師を目指して受験を始めてから21年。貴子さんは53歳になっていた。