受験会場のトイレで搾乳

 充雅さんは成績がよかったため授業料は免除になり、奨学金も獲得。塾講師と家庭教師のアルバイトを休みなくこなし生活費を稼いだ。それでもお金が足りないときは充雅さんの父が援助してくれた。

 貴子さんは家事をしながらセンター試験を受け続けたが、6~7割の点数しか取れない。国公立大より難易度の低い私立大の医学部を受けても、合格にはほど遠い。

 2月末に合否の結果が出て、春から仕切り直すのが普通だが、貴子さんは気持ちの切り替えが下手で、毎回、夏休み前まで落ち込んだ。

夫の充雅さんが大学に入学した後、結婚式を挙げた。貴子さんは34歳。充雅さんは23歳だった
夫の充雅さんが大学に入学した後、結婚式を挙げた。貴子さんは34歳。充雅さんは23歳だった
【写真】住み込みで家事を手伝ってくれた、母の睦子さん

 結婚して3年目に待望の妊娠がわかった。だが、重症のつわりで入退院を繰り返した末に流産してしまう。

 翌年、36歳で無事に長女を出産し、最初の子を流産した悲しみも薄れた。

「主人や親のためにも、どうしても子どもは欲しかった。私自身も母親になりたかったです。無条件に愛情を注げる対象がほしかったのだと思います」

 出産後は予備校の近くの保育園に長女を預け、講義の合間に駆けつけて授乳した。受験のときは母の睦子さんが来て、生後間もない孫の面倒を見てくれた。

「受験会場で胸がパンパンに張って、痛くてテストどころじゃない。トイレで搾乳して出てきたら、長蛇の列ができていました(笑)。本当に、たくさんの人に迷惑をかけてしまったけど、仕方ないわーと、開き直るしかなくて」

 充雅さんは九州大学を卒業し、王子製紙に就職。北海道苫小牧市の工場に配属され、一家3人で転居した。

 ある日、貴子さんは長女をベビーカーに乗せて、苫小牧の社宅から札幌の書店に向かった。インターネットで出願できる今と違って、当時は願書を大学から取り寄せるか、書店で購入するしかない。その年の受験は終えたのだが、書店に残っている願書を見ていたら、翌日が提出締め切りの大学があった。

 貴子さんは願書を手に取ると、その足で新千歳空港に急いだ。

「お腹には2番目の子どもがいたけど、着の身着のままで羽田行きの飛行機に飛び乗っちゃった(笑)。

 だって、すごく焦っていたんです。そのころ、医学部を受けて点数は取れているのに年齢ではねられた女性がいると聞いて、もう、1年でも早く受かりたくて」

 実際にその後、東京医科大で女性や多年浪人生に対して減点するなどした不正入試問題が明るみに出た。2020年には裁判で差別があったと認められ、大学側は賠償を命じられた。貴子さんの心配は的はずれではなかったのかもしれない。

 それにしても、これだけ苦労したあげく、何年も落ち続けたら、途中で放り出したくなってもおかしくない。どうしてあきらめなかったのかと聞くと、貴子さんは即答した。

「確かに医学部って、エベレストみたいに高い山なんですけど、一歩ずつ登れば頂上に必ず着くんだって、変な確信があったんです。それに、点数が年々落ちていればあきらめたと思うけど、できないとはいえ、徐々に上がっていたんですよ」

 そこで言葉を切ると、複雑な胸のうちを明かした。

「ただね、もし、未来予想図みたいのがあって、最初からこんなに長い年数がかかると知っていたら、やらなかったと思いますよ」