小説エッセイ、ルポ、写真集の撮影に映画製作……、多彩なジャンルで活躍してきた椎名誠さん。文筆生活40年を超え、著作の数はもうじき300冊。いつも傍らにあるのは、旅とビールと仲間たち。アルゼンチンの山で置いてけぼりをくらうなど、「九死に一生」の体験をしたのも1度や2度ではない。好奇心に突き動かされるまま、「流れるようにここまでやってきた」人気作家の軌跡をたどる!

「シーナワールド」でファンを虜に

 東京・新宿三丁目。緊急事態宣言が明け、徐々に活気が戻り始めたこの街に、30年以上の歴史を持つ老舗居酒屋「池林房」がある。そこへ作家・椎名誠さんが現れた。

 心なしか足取りがおぼつかないように見える。屈強な肉体の持ち主だったはずだが、だいぶやつれた印象である。

 開口一番、椎名さんがボソリと言った。

「食欲が落ちましたね。体重も7キロぐらい減ってしまいましたよ」

 実は、椎名さんは今年6月下旬、新型コロナウイルスに感染してしまったのだ。自宅で気を失っているところを家族に発見され、救急車で搬送された。高熱が続き、10日間の入院を余儀なくされた。

「退院してもう4か月がたちます。入院中は、ただベッドに寝て個室でうめいていましたね。コロナだから面会もできないしね」

 今困っているのは、その後遺症だという。

「いつもの体調には戻っていない。後遺症があくどく、しつこいんですよ。人によってさまざまらしいんですが、僕はね、甲高い金属音、お皿とお皿がぶつかる音とか、そういう音がダメになった。普段ならそんなことに頓着する体質じゃなかったんだけど、人が変わったみたいに気になったりしてますね」

 入院と同時に多くの連載はストップ。最近になり、ようやく執筆活動を再開した。

 椎名さんの著作は、エッセイ小説写真集から対談・座談集、絵本にいたるまで多岐にわたる。本人は「粗製乱造の極致をいっている」などと自嘲ぎみに話すが、創作活動を始めた1980年代から現在に至るまで年間6~10冊も本を出し続けてきた、名実共に超のつく人気作家だ。

「いろいろたくさん書いてきましたね。僕は数えてなかったけど、今年出た本で290冊を超えたそうなんです。あと4、5冊で300冊になるのかな。書きに書いてきたなあという思いですね」

 汲めども尽きぬ創作意欲は、どこから湧いてくるのだろうか?

「原動力?何だろうね。周辺にいる編集者とか、時の流れとか、そういうものに常に煽られて、気づいたらまた1冊書いちゃったみたいな。書くスピードが速いというのもあったし、書くのが好きだったというのもありましたね」

サラリーマン時代の椎名さん。創刊した専門誌は今なお現存するという
サラリーマン時代の椎名さん。創刊した専門誌は今なお現存するという

 椎名さんのフィールドは文学だけにとどまらない。写真も撮れば、映画も作る。冒険に明け暮れた日々もある。アウトドアという言葉が広く知られるようになる前、椎名さんと仲間たちとのキャンプに憧れ、辺境での冒険の様子に目を輝かせた読者も多いことだろう。仲間といっても文壇でも業界でもなく、ただの釣り好き、酒好き、野外好きの“おっさん”たちである。

 あるいは、海辺でうまそうにビールを飲み干す、椎名さんのCMを覚えている人もいるかもしれない。

 好奇心に突き動かされるまま、世界中を旅しながら紡ぎ出された物語は、いつしか「シーナワールド」と呼ばれるようになり、多くのファンを虜にしてきた。

「もともと深く考える体質じゃないんで。流れるようにして、この50年やってきたというのが正直なところ。気がついたら物書きになっていて、その延長線上に今がある」

 旅とビールと仲間が似合う作家・椎名誠。インタビューを受けるときにはビールを欠かさない。そして、こちらにも決まってすすめてくる。

 病み上がりのこの日も、ビールをグビリグビリと飲みながら話してくれた。そして、段々といつもの調子を取り戻していったのだ。