それこそ、たけしも自分に対する視聴者の“声”を目にしていたのかもしれないーー。

「昔から口にしていたのが、“お客さんに求められなくなったら終わり”という美学」とはベテラン放送作家。人気芸人として長らく芸能界で主役を張りながらも、たけしは常に自身のあるべき“引き際”を考えていたのだという。

「例えば、1981年にスタートした『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)。たけしさんを語るには外せない“生き字引”のような番組でしたが、惜しまれながらも約10年で幕を閉じました。

 高田(文夫)先生にもよく相談されたみたいですが、終盤は“自分の考えをうまく伝えられなくなってきた”と。“北野武”として監督活動にのめり込んでいた時期だけに、ラジオでスイッチを切り替えることが難しくなっていたのかもしれません」(同・放送作家)

お客に愛想を尽かされる前に

 また、“引き際”へのこだわりはたけしの本職である漫才にも見てとれる。

 ご存知、ビートきよしと組む漫才コンビ『ツービート』。浅草フランス座からスタートして瞬く間に売れっ子になる2人だが、人気を支えたのがたけしによる軽快なマシンガントーク。しかし、1980年代になるとたけしはテレビを主戦場とし、自ずとコンビで舞台に立つことは少なくなった。

「それでも、たけしさんの原点は“ツービート”なわけで、たびたび“復活”させてはきよし師匠と掛け合いを見せてきました。でも、その久方ぶりの漫才を披露したことで、昔のようにしゃべれなくなっていたこと。そしてアドリブがうまく回せなくなっていたことを実感したと言います。

 久々のコンビ芸だけにその場では笑いをとれたとしても、このまま続けていてはいずれお客さんに愛想を尽かされる。漫才師として求められなくなる前に、舞台から降りることを選んだのだと思います」(同・放送作家)

 つまりはNキャス降板も、生放送で視聴者が求める“しゃべり”ができなくなる前に、自ら降りる“美学”を貫いたということか。とはいえ、引退するわけではない。ポストセブンの記事では、

 《やりたいことはまだまだ残っている。映画だったり、小説だったり、自分が本当にやりたいことにきちんと時間と精力を注いでいかないと、きっと後悔する(略)これからは時間ができるぶん、もっと創作活動に力を入れられる。みんなをアッと驚かせるようなことをまだまだやっていくつもりなんで、引き続きよろしくね》

 と、今後は“しゃべり手”ではなく“作り手”に重きを置くことを明かしていたたけし。

「まだまだお客さんが求める作品を作る自信があるということでしょうし、もちろん、Nキャスを降板するだけで他のレギュラー番組は引き続き出演します。でも……、根っからのしゃべり師ですからね。例えばNキャスで特番が組まれた際には、“呼んだ?”とばかりにひょっこり顔を出すんじゃないですか(笑)」(同・放送作家)

 引退はまだまだ先になりそうだ。