森喜朗元首相の女性蔑視発言が飛び出したのは、2月3日、日本オリンピック委員会の臨時評議員会だった。

“女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります”と発言し物議に。翌日に釈明会見を開き撤回しましたが、約1週間後の11日に組織委員会の会長を辞任しました」(スポーツ紙記者)

 失言グセは首相在任時から。

「就任翌月の2000年5月、神道政治連盟国会議員懇談会の挨拶で日本を“神の国”と言ったのをはじめ、軽率な発言を連発。批判が高まっていた2001年2月に高校生の実習船“えひめ丸”がハワイ沖で沈没した際、ゴルフ場で事故の報告を受けた森さんは、官邸に戻らずプレーを続行して非難囂々。就任から1年足らずで退陣しました」(一般紙政治部記者)

 総スカンになって地位を追われたわけだが、退陣後、なぜか彼の権力は強まる。

「次の総理となった小泉純一郎氏の後見人的な立場となり、小泉人気が高まると自身が会長を務めた所属派閥“清和会”が最大派閥に成長。誰も森さんに逆らえないようになったんです。2012年に代議士を引退しましたが、その後も権力を保持。ラグビー選手だったことからスポーツ界にも権力を広げ、2014年に東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任しました」(同・一般紙政治部記者)

政治資金パーティーでスピーチ

 東京五輪の開催直前に会長を辞任したが、オリパラが終わった現在も活動的だ。11月29日には、政治資金パーティー『鈴木宗男を叱咤激励する会』に姿を見せた。開始から1時間が過ぎたころに、両脇を付き人に支えられてヨタヨタと会場入りし、壇上でスピーチを行った

血色は悪くかなりやつれていました。両手の甲には点滴の痕もありましたね。滑舌はかなり悪かったものの、現在、日本維新の会に所属する鈴木さんに対して “今は自民党じゃなかったんだっけ”と、元自民党員であることをいじったり、鈴木さんの娘で自民党員の貴子さんに “父親より早く閣僚になれる”と語って参加者を笑わせていました」(パーティーに参加した男性)

 非難を浴びたオトボケトークは健在。やはり、根本的なキャラクターは変わっていないようだ。

「9月に発売された『中央公論』のインタビューでは、辞任のきっかけになった発言を振り返り“マスコミが都合のいいように切り取った”と語っていました」(出版関係者)

 本人に反省の色はなくても、周囲は重くとらえている。

森さんの家族は、鈴木さんの応援パーティーでも軽口を叩く様子を知って“本当に何も学んでいない”とため息をついたそうです。20年前の首相在任時も、最後の大仕事として取り組んだ五輪も、軽率な発言で残念な結果になってしまいましたからね。当時の“悪夢”が蘇ったのかもしれません」(森さんの知人)

 来年こそ失言を控えて、周囲を安心させてほしい……。