'15年4月に行われた還暦ライブでは、熱唱して会場を沸かせた
'15年4月に行われた還暦ライブでは、熱唱して会場を沸かせた
【写真】“ギャランドゥ”がセクシー、水着姿で郷ひろみと選手宣誓する西城秀樹さん

 2016年、東京・中野サンプラザホールなどで行われたデビュー45周年記念コンサート『HIDEKI SAIJO 45th ANNIVERSARY CONCERT 2016』での秀樹さんは、体を思うように動かせない一幕があったが、懸命に歌い、踊った。

 それを見てファンたちは熱狂。号泣するファンも続出した。何があろうが全力で生きる秀樹さんの姿に、ファンは胸を打たれていた。

「秀樹さんのコンサートで勉強させてもらったと思うのは、ファンというものは単に歌を聴きに来ているんじゃないということ。アーティストの生き様も見たいと思っている。コンサートで『声が出ていない』とか『口パクだったんじゃないか』などと言っているうちは本当のファンではない気がする」(前出・ホール関係者)

 秀樹さんのファンは彼の生き方に惚れ込んでいた訳だ。いまだ熱いのもうなずける。

取材で見えた、人柄の良さ

 サザンの桑田が敬うくらいだから、歌もうまかった。TBS『ザ・ベストテン』(1978年~89年)の司会を務め、さまざまな歌手と接してきた黒柳徹子(88)も「あんなに歌のうまい人はいない」と歌唱力を絶賛していた。

新御三家(西城秀樹郷ひろみ野口五郎)(昭和49年)
新御三家(西城秀樹郷ひろみ野口五郎)(昭和49年)

 具体的に歌がどう、うまかったのか。秀樹さんがデビュー時に所属していたビクター音楽産業(現JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)の元制作スタッフが解説する。

「『情熱の嵐』(1973年)のようなシャウト系の歌も『ブルースカイブルー』(1978年)みたいなバラードも完璧に歌えた。発声のコントロールがきちんとできていたからです。シャウト系もバラードも歌える人は数少ない。どちらも歌うのは難しいんです。かなり高い歌唱力を持っている人でないと無理

 またシャウト系の歌には歌唱力が表れやすいそうだ。

「うまくない人が歌うと、がなっているように聴こえてしまいますから。秀樹さんは違った。しっとりしたバラードもうまく、味もあった。デビュー時点から歌のうまい人でしたが、経験を積むうち、よりうまくなりました。売れてからも一生懸命やる人でしたから」(前出・元ビクター制作幹部)

 人柄が良かったこともファンを惹き付け続ける理由だろう。

 筆者が秀樹さんとお会いしたのは2013年5月だった。TBSの名作ドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年、パート2は翌75年)についての座談会出席をお願いした。秀樹さんの父親・貫太郎役だった故・小林亜星さんと同局の演出家だった故・鴨下信一さんが同席した。

『寺内貫太郎一家』謝恩パーティーの亜星さんと西城秀樹さん(右)。左は梶芽衣子(1974年8月撮影)
『寺内貫太郎一家』謝恩パーティーの亜星さんと西城秀樹さん(右)。左は梶芽衣子(1974年8月撮影)

 秀樹さんは時折、声を出しにくそうな場面があった。それでも笑顔を絶やさず、「このドラマが成功したのは、貫太郎役が亜星さんだったからだよ」と小林さんを讃えて、一方で鴨下さんを立てた。

 秀樹さんの人気がこのドラマを支えていた一面もあるのに、自分のことはほとんど語ろうとしなかった。

 4月の50周年コンサートをファンは心待ちにしているだろう。

高堀冬彦(放送コラムニスト、ジャーナリスト)
1964年、茨城県生まれ。スポーツニッポン新聞社文化部記者(放送担当)、「サンデー毎日」(毎日新聞出版社)編集次長などを経て2019年に独立