亡くなる前夜にかかってきた電話

 オーストラリアでの治療の様子をYouTubeに投稿していた西郷さんは、昨年8月末に『がんが消えた編』という動画を公開。がんは消えていたものの、進行度を示す数値PSA(前立腺特異抗原)は上がっていることを伝えていた。

「PSAが上がっているのにがんがなくなったというのは臨床上考えづらいので、がん自体は残っていたのだと思います。もしかしたら、視聴者を安心させたかったのかもしれませんね」(窪田氏)

 その後9月に帰国し、国内の病院に入院して治療を続けていた西郷さん。45年来の友人であり、陶芸教室『まだん陶房』を営む岩田康則氏は亡くなる直前まで連絡を取り合っていた。

「私が以前、経営していた飲食店にお客として来てくれたことから交流が始まりました。それから一緒にゴルフをしたり、お酒を酌み交わしたり……。'96年に私が開いた陶芸教室の会員第1号も彼でした」(岩田氏、以下同)

『まだん陶房』の一角には西郷輝彦さんが作った器が展示されている
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 再起を信じていた岩田氏には、忘れられないメールがあるという。

「彼は俳句を嗜んでいて、自作や句会で選句をした詩をよくメールで送ってくれたんですよ。闘病中も精力的だったので、きっとまた元気に戻ってくると思っていました。でも、あるとき急に奥さんが代わりにメールを打ってくるようになりまして……。好きだった俳句が打てなくなるほど、体調が思わしくないのかなと心配していました」

 西郷さんが亡くなる前日の深夜には、岩田氏の携帯電話に着信があった。

「気づいたのがその日の早朝だったので、悪いと思い折り返しませんでした。そうしたらあとになって亡くなったと連絡が入り……。別れの挨拶だったのか、今となってはわかりませんが、最後の最後に本人から連絡が来たことはうれしかったですよ」

 命が消える直前まで、周囲を気遣っていた─。