昔から演劇が好きで、10代から舞台を見に行っていた。

「宮沢さんが好んでいたのは、“アングラ演劇”といわれるものです。ストーリーは難解で、演技は前衛的。ファミリー向けの芝居とは違い、とっつきにくいかもしれませんが、そこに演劇の深みを感じたのでしょう」(演劇ライター)

 中でも最も憧れを抱いていたのが、唐十郎だった。これまでに4度、同氏の舞台に出演している。

唐十郎からの“ラブレター”

「唐さんは、'60年代に『状況劇場』を旗揚げし、アングラ演劇の旗手として熱狂的に支持されました。劇場を飛び出し、野外で紅テントを建てて公演。過激なスタイルに排斥運動も起こりますが、当時の若者にとってはカリスマ。'88年からは『劇団唐組』を主宰し、劇作家、演出家として数々の舞台を手がけ、昨年には文化功労者に選ばれました」(前出・演劇ライター)

 宮沢にとって、唐が特別な存在なのには理由がある。

《17歳のときに『緑の果て』、20歳のときに『青春牡丹燈篭』と、唐さんの脚本による2本のNHKドラマで主役をやらせていただきました。セリフにずっしりと重みがあって、詩的に美しくて…。頭で理解できなくても心がうずく、みたいな瞬間が17歳の私でも何度もありました》(『25ans』'11年12月号)

 唐の作品を初めて見たとき、《とてつもない衝撃を受け、胸を激しく揺さぶられ涙が出た》とも宮沢は語っている。

 今回の『泥人魚』は宮沢には大切な仕事だっただろう。しかし、演出を担当した金守珍氏によると、宮沢の起用は唐の願いでもあったそうだ。

《作品はいわばラブレター。ヒロインを輝かせたいという強い思いが、作品を生み出す原動力にもなっていました。その唐さんが『ぜひ当て書きしたい』と強く願い続けた女優が、宮沢りえだったのです。『泥人魚』は唐組で初演されましたが、実はりえさんをイメージして書いたと聞いています。つまり今回、ついに唐さんのラブレターが舞台として結実するわけです》(『泥人魚』公式HPより)

 相思相愛の仲だったわけだ。公演パンフレットのインタビューで、宮沢は『泥人魚』への意気込みを語っていた。