上皇ご夫妻にとって赤坂御用地は、ご成婚翌年の'63年から'90年まで住まわれた思い出の場所だ。

「数年間に及ぶ引っ越し作業は、とても大変でお忙しい日々を過ごされていたとお見受けします。赤坂へ戻られるのは、もちろん楽しみだと思いますが、何よりもほっとしていらっしゃるのではないでしょうか」

 そう話すのは、先に紹介した本の著者である末盛さん。20年以上にわたり美智子さまと交流を続け、引っ越しを控えた3月下旬には電話でお話しする機会もあった。

上皇陛下に桃を献上することに

「私が代表を務めていた『3・11 絵本プロジェクトいわて』の報告書をお送りしたところ、女官から“上皇后さまがお電話したいそうです”と、連絡がありました。ただ、アポイントメントは何度か延期に。几帳面で完璧な美智子さまですから“すみずみまで報告書を読んでから感想を伝えたい”という思いがおありだったのでしょう」(末盛さん、以下同)

 電話越しの美智子さまの声はお元気だったという。

「報告書には、美智子さまが絵本を寄贈してくださったことについても記載していました。それをご覧になっていたようで、“仲間に入れてくれて本当にありがとう”と言ってくださいました」

 電話では、引っ越しの話題にも触れられた。

'79年11月、愛知県犬山市を母娘で訪問された美智子さまと黒田清子さん。宇野藤雄さんとの面会が実現した
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【秘蔵写真】結婚前に撮られた大学時代の美智子さまが美しすぎる、上皇さまと手を取り合ってスケートとダンスも

「ご年齢のこともあり、体力の衰えをお感じになることもあるそうですが、“陛下を無事に赤坂へお連れすることが、今の私の務め”と、繰り返しおっしゃっていました。
“陛下のおそばにいるために皇室へ入った”というご成婚当時のご覚悟を、今も変わらずお持ちだと思うと、感動いたしました」

 人生の節目に感謝と覚悟を示されていた美智子さま。そのいつくしみの心が忘れられないと語る人物がいる。3月下旬にフランスで行われたフィギュアスケートの世界選手権で見事優勝を飾った宇野昌磨選手の祖父・宇野藤雄さん(95)だ。

「皇太子妃時代の美智子さまから、直接お礼を言っていただいたことがあるんだよ」

 愛知県犬山市に在住し、現役の画家である宇野さんは、『週刊女性』にそう明かす。

「僕が懇意にしていた知り合いが、上皇陛下のご学友でね。東京で暮らすその方に、地元で採れた桃を送っていたら、“こんなにおいしいのは食べたことがないから、陛下に献上したい”と頼まれたんだ」(宇野さん、以下同)