UFO番組不動のトップランナー 

 1990年代に入ると映画『ゴジラvsキングギドラ』(1991年公開)の出演依頼がくる。役どころは“UFOに詳しい矢追純一”。ゴジラはフィクションだが、矢追は映画の中でも実在のUFOディレクターだった。

 1990年11月には、石川県羽咋市で『宇宙とUFO国際シンポジウム』が開催。米ソの宇宙飛行士が来日し、開催国の海部俊樹首相が公式メッセージを寄せた国際会議は世界中から注目を集めた。実現させたのは高野さん。そして、シンポジウムに日本代表として登壇したのが矢追だった。

「矢追さんのほかにはいませんでしたよ、この会議で日本……、というより世界を代表して話ができる人物は。世界中で制作されるUFOコンテンツは、みんな矢追さんの番組をお手本にしていたんですから」(高野さん)

コスモアイル羽咋内の矢追コーナー
コスモアイル羽咋内の矢追コーナー
【写真】メモがびっしりと書き込まれた『11PM』の台本

 UFO番組は世界中のテレビ局で作られるようになっていた。UFOの事案が発生するたびに海外の取材班は先駆者の矢追に意見を求めてくる。必然的に矢追の元には世界中の最新情報が集まった。

 一方で、日本では矢追の手を借りずにUFO番組を作る人たちも出てきた。そこには構成作家として放送業界に関わった高野さんもいた。

「矢追さんと現場でばったり会ったときに、オレの目の前をチョロチョロするなと怒られたこともありました」

 と高野さんは苦笑するが、UFO番組を作る次世代のライバルたちにとって、矢追は不動のトップランナーであり続けた。2009年8月には、本物の宇宙船を展示しているコスモアイル羽咋の名誉館長に就任。このとき矢追は74歳。就任を要請した高野さんは、この時期に矢追の意外な一面を見ている。

「有名な女優さんが孤独死したニュースを聞いて、『僕もあんなふうに死ぬのかな』と、ポツリと言われたことがあったんです。私は矢追さんらしくないなと思いながらも、一瞬“人間・矢追純一”を見たような気がしました」

 一般の人は、矢追のどんな私生活を想像するだろうか。マネージャーの河原さんは、「仕事とプライベートは分けておられるようですね」と言いながらも、古くからの友人として仕事を離れたときの矢追の姿も見知っている。

番組撮影の様子。UFOや超常現象を追いかけて世界中を飛び回った(コスモアイル羽咋提供)
番組撮影の様子。UFOや超常現象を追いかけて世界中を飛び回った(コスモアイル羽咋提供)

「数年前まで大みそかは矢追さんの自宅で一緒に蕎麦を食べて年越しするのが恒例でした。私からすると矢追さんは父親の世代で、大先輩であり、よきメンター(影響力を持つ人)なんですが、常に1人の人間として対等に接してくれます。

 時々、生き方や考え方について話してくれることはありますけれども、普段は食べ物のことだったり、大好きな温泉のことだったり、たわいない会話ばかりです。

 プライベートでUFOや超能力の話を聞いたことはほとんどないし、仕事やお金に関しても細かいことは一切口にしない。本当に“欲”というものがない人なんだなと感じます」

 宇宙塾の運営をサポートする小川さんも、10年ほど前に家族で熱海の温泉に招待されたことがあった。自分の孫の年ごろに当たる小川さんの子どもとも、矢追は楽しそうに話していたという。アットホームな雰囲気の中でくつろぐ、そんな当たり前の時間が、矢追には非日常なのかもしれない。

 矢追は25歳で結婚したが、長くは続かずに離婚した。以後、家庭は持たず、いまもひとり暮らし。浅慮を承知で矢追に質問してみた。“孤独”は感じませんか?

「僕には家族という概念が希薄でね、母親の死もショックではなかったし、1人でいて寂しいと感じたこともない。人間は1人で生まれてきて、1人で死んでいく。それが現実ですから、むしろ孤独でいることが自然なんです。

 
人とのつながりの中でしか幸せを感じられないのだとしたら、そっちのほうが現実離れした考えだと僕は思います」

 どんな状況にあっても“いま”を楽しみ、幸せを感じることができる─そんな自立した生き方を多くの人たちに身につけてもらうために、矢追は宇宙塾を主宰している。

 取材で訪れた「自由コース」は誰でも参加できる入門編。会場で矢追はこう切り出した。

「今日は秘密の話も用意しています。だけど、この塾で僕がしゃべるのはみなさんが退屈しないためのサービスなので、興味がない人は寝ていてもかまいません」

 塾生はボーッと座っているだけでいい。矢追が伝えるのは人間が生きていることの本質。言葉で教えるわけではない。矢追は温泉にたとえる。効能のある湯に浸かるだけで身体も心も癒される。それが宇宙塾という“場”であり、“効果”なのだという。

 会場には、すでに宇宙塾の全コースを修了した人たちの姿もあった。卒業生が母校を訪れるように、多くの元塾生が気軽に矢追に会いに来る。

 Tさん(男性・62歳)は、「間違いなく言えるのは宇宙塾に来てから人生が変わったことです。もちろん、いい方向に」と話した。

名誉館長を務める石川県羽咋市のコスモアイル羽咋は宇宙船のような外観
名誉館長を務める石川県羽咋市のコスモアイル羽咋は宇宙船のような外観

 15年前に塾を卒業したSさん(女性・39歳)は、2歳下の妹と一緒に訪れていた。

「学生時代に自分のやりたいことを書いたメモが出てきたんです。世界遺産に行きたいとか、好きな作家に会いたいとか……。そういう夢が、宇宙塾に来てからいつの間にかみんな実現していました」

 元塾生たちの証言は、矢追と同じ生き方が誰にでもまねできることを物語っている。だが、見える世界は人によって違う。宇宙塾で起こる現実を信じられない人には、矢追の考え方や生き方こそが超常現象に感じられることだろう。

 宇宙塾では自由に矢追に質問ができる。折しも世界情勢はロシアのウクライナ侵攻が始まった時期。自らも戦禍を生き延びた体験を持つ矢追は、この現実をどう考えているのか? 平和を願い、戦乱に巻き込まれた人々を案じながらも、個人の生き方に対する矢追の答えは明快だった。

「いろいろな情報に右往左往せず、どういう自分でありたいのかを忘れずにいることが大事であってね。流れに逆らってジタバタすれば溺れるけれども、流れに身を任せていればラクに遠くまで行けます。どんなに大きな変化に遭遇しても、自分は宇宙という大きな流れの中で生かされていると自覚して、自然体でいればいいんです」

 苦しい“いま”を耐えれば、楽しい未来が待っているわけではない。“いま”を楽しめる人間に、期待どおりの未来が訪れるのだと矢追は言う。

 そして、自身の未来に期待を込めて、矢追はこう話した。

「僕も人間ですから、いつかは死にます。だけど、あと何年生きられるかとか、そういうことに心を煩わされたことはありません。“いま”を大切に生きていれば、自分の人生が終わる瞬間さえも楽しく迎えられると、僕にはわかっているのでね─」

〈取材・文/伴田薫 撮影/北村史成、佐藤靖彦〉

 はんだ・かおる ●ノンフィクションライター。人物、プロジェクトを中心に取材・執筆。『炎を見ろ 赤き城の伝説』が中3国語教科書(光村図書・平成18~23年度)に掲載。著書に『下町ボブスレー 世界へ、終わりなき挑戦』