ショッピングモールからの再出発

 KENZOにとって、2018年のシングル『U.S.A.』のヒットが、ダンスに対する認識の大きなターニングポイントになっている。子どもからお年寄りまで、誰もが親指を立てて片足で踊った「いいねダンス」。DA PUMPは老若男女誰もが知る国民的なダンス&ボーカルグループになった。しかしそれまでの道のりは長く険しい。

 1997年のデビュー以降、DA PUMPは本格的な歌唱力とストリートダンスを取り入れた先駆的なグループとしてヒットを飛ばし続け、5年連続紅白出場、ミリオンヒットを記録した時期もあった。

 しかし、2009年のメンバー増員から10年間でリリースしたCDはわずか3枚。その間、新作のリリースやライブ開催もできず、解散が危ぶまれていた時期もある。新生DA PUMPを受け入れないファンもいた。

 新加入したメンバーは、人生をかけ、覚悟を決めてDA PUMPに集まった。なのに思うように活動ができない。諦めのムードも漂っていた。

DA PUMP加入前から親交のあるメンバーたち。中でもTOMO(右)は『U.S.A.』をはじめ、DA PUMPの楽曲の振り付けを共に手がけるなど絆が深い
DA PUMP加入前から親交のあるメンバーたち。中でもTOMO(右)は『U.S.A.』をはじめ、DA PUMPの楽曲の振り付けを共に手がけるなど絆が深い
【写真】『U.S.A.』のリリースイベント、お客さんがギッシリ!

 いつもメンバーを優しく包み込む存在でもあるTOMOは、そのときのことをこう語っている。

「当時の僕らは活動ができなくて目の前が行き止まりだった。DA PUMPの活動がない。

 そんな中、ケンちゃん(KENZO)が、アイデアを出してくれたんです」

 重苦しい空気の中、メンバー全員で集まって今後を話し合ったときのことだ。

「どんなステージでもいい。このメンバーでステージに立ちたい。俺、ずっと考えてきた案があるんです」

 KENZOはショッピングモールからの出発を提案した。

「ISSAさんの歌や僕たちのダンスを見てもらえる環境さえあれば、皆さんに愛を届けることがきっとできる」

 ISSAもメンバーもそこで気持ちがひとつになった。

「みんなでゼロからやろう」

 全国のショッピングモールを回ることは、地方の子どもたちに本物のダンスを届けるチャンスでもある。KENZOは子どものころの自分をそこに重ねていた。

 ららぽーと、イオンモール、全国のショッピングモールを細かく回った。どんなに遠くてもメンバー全員でハイエースに乗り込み、会場に向かう。駆け出しのバンドのような毎日だった。

「それは苦しい時間じゃなかった。本当に楽しかったですね。車の中で音楽かけて、ノリノリで。ISSAくん、ノってるときは『北酒場』歌ったりしてね(笑)」(TOMO)

 どんな会場でも全力でやり抜いた。2年間やり続け、2000人の会場でライブができるようになった。

 そして、2018年、3年半ぶりのシングル『U.S.A.』。その振り付けを考えたのがKENZOとTOMOだった。初めてのユーロビートの曲。TOMOの第一印象は、

「楽しそうな曲」

 だったという。

「もうね、シングルを出せることがうれしいし、曲も楽しそうだし、みんな吹っ切って全力で楽しもうぜって、気持ちがひとつになったんです」

 シングル『U.S.A.』は、リリース前からSNSでも話題になっていた。音にのせた「意味のない歌詞」、「ダサかっこいい」CDジャケットも起爆剤になった。ショッピングモールで全国を回ったことで、子どもからお年寄りまで幅広い世代が生でDA PUMPのダンスパフォーマンスに触れ、ファン層も広がっていた。ヒットの準備は十分だった。

 5月19日、埼玉のMEGAドン・キホーテからリリースイベントで全国を回り始める。奥行きのない小さなステージからのスタート。回を重ねるごとに人が増えていった。

 リリース当日の6月6日、池袋サンシャインシティ噴水広場は、1階のフロアから吹き抜けを囲む各階フロアの手すりまで、見渡す限りぎっしりとファンが集まっていた。

『U.S.A.』のリリースイベント。最初は人もまばらだったが、わずか3か月後にはこの人だかり(たまプラーザテラス)
『U.S.A.』のリリースイベント。最初は人もまばらだったが、わずか3か月後にはこの人だかり(たまプラーザテラス)

 数か月前、いや、リリースイベントをスタートしたほんの数週間前には想像もできない状況だ。

 特設ステージ裏の控室で、KENZOはマネージャーの大谷さんとこんな会話を交わしている。

「夢みたいだ。目を擦ったら消えちゃうんじゃないかな」

 さらに、サビの部分で“ある光景”を見て、KENZOはハッとした。

「ステージ前のキッズスペースで、子どもたちが跳びはねながらすごい笑顔で『いいねダンス』を踊ってた。それを見た瞬間、胸がいっぱいになりました。僕の中のダンスの概念が大きく変わったんです。それまで、世界一、一流のダンスを目指していたけど、僕のダンスはこの子たちをこんなに笑顔にさせるダンスじゃなかった。一流のダンスも、始めたてのダンスも、最高だしすてきだ!っていう今までにない感覚を子どもたちに教えていただきました」

 その年のレコード大賞優秀賞を受賞したとき、KENZOは号泣し、こうスピーチしている。

「本当に『U.S.A.』という楽曲で、僕たち夢みたいな時間を今年は過ごさせてもらってます。7人でこのステージで皆さんに感謝を届けたいし、21年間ずっと歌ってきたISSAさんと一緒に感謝を届けたいです」

 どんなに小さなステージでも、どんなに立派なステージでも、権威があってもなくても、KENZOはいつも全力で踊り続けてきた。ストリートダンスシーンを牽引する思い、そしてDA PUMP全員の思いがあふれ、日本中がその涙に感動した瞬間だった。