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ー 「アイドル扱いに悩んだこともありました」
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ー 公式ライバル、松島二郎さんとの思い出

 伝説のテレビ番組『風雲たけし城』が34年ぶりに復活。同じくビートたけしがMCを務め、復活してほしいバラエティー番組といえば、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』。その中の人気コーナー「ボクシング予備校」の中心メンバーでプロデビューも果たした飯田覚士さんが明かした、番組の“裏側”とはーー。

「アイドル扱いに悩んだこともありました」

 全国から集められたアマチュアボクサーがプロを目指すという人気企画だったのが「ボクシング予備校」。その中心メンバーとしてアイドル的な人気を誇っていたのが飯田覚士さんだ。番組出身で素人からプロデビュー、世界の頂点まで上り詰めた奇跡の存在であるが、ボクシングを始めたのは大学時代からで、当時は典型的な「地方の大学生」だったという。

「日曜の夜は遊んでいることが多かったので、あまり番組を見ていませんでした。久しぶりに家で番組を見たら、募集告知があって応募したんです」(飯田さん、以下同)

 見事採用されたが、当時の将来の夢はツアーコンダクター。番組は思い出づくりという気持ちが強かったという。

「当初の撮影は、『ロッキー』の有名なシーンみたいに生卵を一気飲みするとか、バラエティーっぽいことをしていたんです。でも、テリー伊藤さんがもっと本気のものを作りたいと言い出したそうで、その手の収録は全部お蔵入りになりました(笑)」

 「ボクシング予備校」第1回の放送後から飯田さんの生活は激変したという。通学路には待ちぶせする人が続出し、飲食店に入ればサインや握手を求める行列ができる。まだプロにもなっていない、ただの一介の大学生である自分が注目の存在になってしまったことに違和感を覚え、番組出演をやめることを考えた。

「急に世間から“芸能人”扱いされて騒がれるようになったのが本当に嫌で。やめたいとディレクターに相談したら、それをカメラの前で(レギュラー出演者の)兵藤ゆきさんに語ってくれと言われまして。やめるって話をしたのに、編集された映像では『これからも飯田覚士はがんばります』っていう結びになっていて(笑)。これが大人の世界なんだな、とそのときから吹っ切れましたね」