無事を祈り続けた妻の姿

 東京に流れ着いた後も、命を狙われる日々は、じわじわと鈴木さんをしめ上げた。

「ひげを生やして変装して、偽名を使って競馬のノミ屋なんかしてたけど、関西弁が聞こえてきただけでビクビクしてた。じきに酒の量が増え、覚せい剤にも手を出してました」

 連れて逃げた女性は、早々に去った。孤独と恐怖が日増しに募り、逃亡生活は8か月で限界を迎えた。

「一歩も部屋から出られなくなり、靴音がしただけでガタガタ震えてた。あげく、見捨てた家内が神様に頼んで俺を呪い殺そうとしてるって思い込んで、のたうち回ってた」

 幻聴、幻覚、猜疑心が、容赦なく襲いかかってきた。

「殺される!」、耐え切れなくなって、着の身着のまま飛び出し、気づけば教会に駆け込んでいた。

「当時、新宿の歌舞伎町に韓国人の牧師さんがいる教会があったんです。24時間出入り自由で、宿泊もできるような。そこで丸2日、祈り続けました。神様、どうか家内の呪いを解いてくださいって」

 3日目には礼拝が行われた。登壇した牧師の、「神様はあなたを許します」、「あなたは尊い存在です」、その言葉に聞き入りつつも、一方で自虐的になる自分がいた。

「尊い存在? 冗談だろう。人殺し以外なんでもやった俺が、妻子を平気で捨てるような俺が、どうして許されるんだ。生きる価値すらないよって。だけど悪態をつきながらも、立ち上がって叫んでた。『助けてください!』って」

 礼拝のあと、鈴木さんは自分の罪深さを切々と訴えた。

 すべてを聞き終えた牧師は、静かに言った。

「本当に悪い人間は、あなたのように苦しんだりしません」と。

 気づくと、牧師の足元にすがりつき、子どものように泣きじゃくっていた。

「虫のいい話だけど、こんな罪深い俺でも、もしチャンスをもらえるなら、もう一度、人生をやり直したいって。やっと心を開いて、神様を信じることができたんです」

 その日、教会の長いすで久しぶりにぐっすり眠った鈴木さんは、翌日、新幹線に飛び乗った。

「家内に詫びなければ──」

 その思いが自然と込み上げてきたからだ。

 大阪に戻れば、追っ手に捕まる危険があった。それでも迷いはなかった。

「家内は引っ越しもせずに待っていてくれました。逃亡したころ別居状態だったことが幸いし、追っ手にひどい目にあわされなかったことがせめてもの救いです。でも、見る影もなく痩せていました。私を呪うどころか、断食までして無事を祈っていたんです」

 まり子さんが振り返る。

「どうしようもない人でも、神様の前で誓ったから簡単に離婚できません。だから神様と約束しました。来年、桜が咲くまで1年待ちます。それでも帰ってこなかったら、娘と韓国に戻りますと」

妻子を捨てて逃げたのに、妻が断食してまで無事を祈り続けてくれたと話す場面では、「こんな私のために」と思わず目頭を押さえる(撮影/渡邉智裕)
妻子を捨てて逃げたのに、妻が断食してまで無事を祈り続けてくれたと話す場面では、「こんな私のために」と思わず目頭を押さえる(撮影/渡邉智裕)
【写真】ヤクザだったころの牧師・鈴木啓之さん、上半身には和彫の刺青が

 自分の無事を祈って痩せこけた妻の姿は、どんな言葉より鈴木さんの心を動かした。

「やり直したい」、夫の願いを妻は聞き入れ、鈴木さんは妻子を東京に呼び寄せた。

 翌1991年には、神学校に入学。昼は建築現場で働き、夜は学校に通う日々を卒業まで3年間続けた。

「神学校は、人としてまともに生きなさいと家内のすすめで入学しました。これを機に、酒もタバコもスパッとやめて。勉強なんて縁がなかったけど、聖書を学び出したら新しい発見の連続でね。知りたいことを学ぶのは、こんなに楽しいものかと、もう夢中でした」

 在学中はキリスト教の伝道師として大きな十字架を担ぎ、歩いて日本全国を縦断。

 水を得た魚のように布教活動に熱中した。

 そんな矢先だった。

「おい鈴木、出てこんか!」

 大阪時代のヤクザに自宅を突き止められた。