生き直しを諦めない牧師

 発端は、宗教活動の一環でテレビ出演したこと。放映後すぐ、借金の連帯保証人だったヤクザが乗り込んできた。

1993年、神学校の卒業式にて。当時38歳。学長夫妻、妻・まり子さんと
1993年、神学校の卒業式にて。当時38歳。学長夫妻、妻・まり子さんと
【写真】ヤクザだったころの牧師・鈴木啓之さん、上半身には和彫の刺青が

 ドアの外で怒号が飛び交い、鈴木さんはとっさに包丁をつかんだが、すぐわれに返った。

「神の“恐れるな!”という声が聞こえたからです。家族が怖がるので静かにしてほしいとお願いし、正直に状況を話しました。今の私に何千万円もの借金は返せない。本当に申し訳ないと。そして、一生あなたのために祈らせてほしいと頼みました」

 古びた部屋の玄関には、仕事用の地下足袋が置かれ、つましい暮らしが見て取れた。

 やがてヤクザは、娘のポケットに2万円をねじ込んで、「おいしいもん食べさせてもらえ」と帰っていったという。この話には後日談がある。

 そのヤクザが刑務所に入ったと風の便りで聞いた鈴木さんは、少ない収入からヤクザの妻子に毎月3万円ずつ、出所まで3年間、送金を続けた。

「出所した彼は電話をくれ、“一生の借りができた”と涙ながらに言ってくれました」

 別のヤクザにもできる範囲で返済すると、それ以上は追ってこなかった。

「“鈴木のヤツ、神さん、神さんて違う世界に行ってもうた”と呆れられたのかもしれませんが、生き直そうとする私を、彼らなりにわかってくれたように感じます」

 神学校を卒業した翌年の1995年、節目の40歳で千葉県船橋市に『シロアムキリスト教会』を開拓。按手礼を受け、牧師となった。

 5年後には東船橋に移転。『人生やり直し道場』の前身となる『やり直しハウス』を敷地内に建てた。

「人は立ち直るために他力が必要なこともあります。それが私にとっては信仰心でした。こんな私でも神様の愛に背中を押され、生き直すことができた。同じように生き直したい人たちの背中を押すのが、私の役割だと考えました」

 鈴木さんのもとには、元ヤクザや薬物依存症の元受刑者が訪れ、生き直しを目指した。

「4畳半に元ヤクザ3人が寝起きして、刑務所よりせまかった(笑)。でも最高に充実してましたね」

 そう話すのは、元暴力団員で、現在は「罪人の友」主イエス・キリスト教会の牧師・進藤龍也さん(51)。

「鈴木先生の自伝本は受刑者のバイブルになっていて、僕も読んだけど最初は少し嫉んでた。組を抜け、入れ墨牧師としてうまくやったなって。でも、その考えはすぐに消えました。覚せい剤で3度目に捕まったとき、減刑の嘆願書を先生に頼んだら、見ず知らずの僕のためにすぐ書いてくれて。本気で救いたい気持ちが伝わってきたからです」

 出所後は鈴木さんの教会で寝起きし、更生を目指した。

 とはいえ、人間はすぐには変われないと本音を話す。

「一緒に寝起きしてる元ヤクザと、こっそり飲みに行くわけです。息抜きしようって。じきにバレたんだけど、そのときの先生の顔は今も忘れられない。怒るどころか、“たっちゃん、何してるの?”ってすごく悲しい顔してね。それ見たとき、ああ、この人を裏切っちゃいけないと。それが僕の回心の始まり。神学校に通い、先生と同じ牧師の道に進みました」

 元ヤクザから足を洗った人、覚せい剤を断ち切れた人、自殺を踏みとどまった人──。さまざまな事情を抱えた人が、鈴木さんのもとで新しい人生を手に入れてきた。

「私ひとりの力では及びません。人はそれぞれ抱える問題が違うので、法律の問題は法律家、依存症などはメンタルの専門家といった具合に多くの人に協力してもらっています。

 漢方の薬局って、いろんな引き出しから薬を出して調合していくでしょ。それと同じ。その人に合った支え方ができればと考えています」

 各専門家に力を借りつつ、鈴木さんの深い愛が届いたとき、人は生き直したいというスイッチが入るのだろう。