健康な私からなぜこの子が……?

 六本木のクラブジャマイカで知り合い、3年交際の末に夫・雄介さん(45)と結婚。2009年10月、楓音ちゃんが生まれた。“レゲエ好き”という夫婦共通の趣味から、“音”を名前に入れた。

 出産は、長時間に及ぶ難産だった。へその緒が赤ちゃんの身体に絡まっていたからだ。

 玲子さんの体力も限界に近づき、意識が朦朧とする中で出産。娘を初めて抱き上げたときは、喜びと安堵が込み上げ、「これからよろしくね」と笑みがこぼれた。

 容体が急変したのは数時間後のこと。楓音ちゃんに発作が起き、救急車で東京都世田谷区の成育医療研究センターへ運ばれてしまう。

「気が気じゃなかった。隣のベッドでは、赤ちゃんを抱いて幸せそうなママがいる。自分は本当に産んだんだっけ?って。悪夢のような気もして。明日起きたら、妊婦に戻ってたらいいな……とも思いました。お祝い御膳を出されたとき、あぁ、現実なんだって、泣きながら食べました」

出産直後、楓音ちゃんに発作が起きる前(撮影/伊藤和幸)
出産直後、楓音ちゃんに発作が起きる前(撮影/伊藤和幸)
【写真】玲子さんと楓音ちゃんの食事、形状は違えど同じものを

 集中治療室に入る小さな娘に、玲子さんがしてあげられるのは、毎日冷凍保存した母乳を届けることだけだった。

 その間、玲子さんは病名がわからない不安と闘っていた。検査入院は長引き、生後2か月がたつころ、ようやく楓音ちゃんの退院許可が下りる。

 医師からはこう告げられたという。

「この子は、生涯寝たきりで、座ることも歩くことも、物を見ることも、言葉を発することもないかもしれません」

 病名は、「大田原症候群」。新生児や乳幼児に発症する重症のてんかん性脳症で、全国の患者数は100人未満の希少難病だ。身体の硬直や発作が起き、精神・運動面での発達が遅れる。これにより、嚥下障害も併発した。

 医師との面談で、娘が患った病の重さを感じる一方、玲子さんはほっとしていた。

「病名がわかったんだから、治るよねって思ってました。私は昔から健康には自信があって。中・高の6年間ソフトテニスに打ち込んでいたし、“風邪をひいても学校は休むな!”って母に言われて育ったくらい。健康体から生まれたんだから、大丈夫だと……」

 ところがインターネットで病名を検索すると、絶望的な情報しか出てこない。厚生労働省が定める指定難病で、有効な治療法も確立されていないことがわかった。

「多くの人が5歳未満で亡くなるとか、発作が起きるたびに脳が破滅に向かっていくとか……悲惨なことばかり。情報がとにかく少なくて、不安だけが募っていきました」

 健康な私からなぜこの子が生まれてきたのか。妊娠中に仕事をしすぎたのか。食べたものがいけなかったのか。自分を責めて原因ばかり考え込み、心はすり減っていった。

「家では1日中、母乳を自分でしぼって冷凍して、解凍して……って作業をやりながら泣いていました。

 1滴取るのも大変なのに、飲まずに寝ちゃうと、廃棄しないといけないので、すごくイライラしちゃって。今でも授乳するママを直視できないんです。うらやましくって」