明菜は16歳でデビューしてから、ほどなくして近藤真彦と交際をスタートさせた。しかし、1989年に明菜が近藤の自宅マンションで自殺未遂を図り、破局。同年12月31日に、近藤と復帰会見を開くと、所属事務所だった『研音』を退社した。

「その後も、お金を持ち逃げされたり、権利問題で揉めるなど、明菜さんはさまざまな裏切りやトラブルに見舞われ、事務所の移籍を繰り返していくのです」(芸能ライター)

 1993年、明菜は4度目の移籍となった『N・A・P・C』という個人事務所を立ち上げる。

「もともとは飲食店で働いていた男性のB氏を、明菜は事務所の副社長に据えました。B氏は明菜がマッチと交際しているときからの友人で、マッチと破局後に急接近。ふたりは交際をスタートさせます。そこで明菜は自身のマネージメントをしてほしいと、最も信頼できる恋人のB氏に頼むのです」(同・芸能ライター)

明菜を献身的に支えてきたA氏

 しかし、ふたりの関係は許されざる恋だった。

「B氏は既婚者で、明菜もそれを知っていました。最終的には明菜の思いを受け止めきれず、1998年にB氏は事務所の役員を辞任します」(同・前)

 明菜は『N・A・P・C』を1999年に離れるが、そこに登場したのがA氏だ。

「ふたりの出会いについてはわかりませんが、再び新たに立ち上げた個人事務所の社長には、A氏が就任しました。明菜さんは、A氏が所有する都内にある一棟建てのマンションに長らく住んでいたといわれています。A氏が食料品や日用雑貨などの買い出しを担当し、明菜さんを献身的に支えていたのです」(前出・スポーツ紙記者)

 恋人との別れとともに、所属事務所の移籍を繰り返してきた明菜。今回もA氏との関係が終わったから、ということなのか─。

「えっ、明菜が復帰をするんですか? 初耳です。明菜からの連絡はないままですね」

 そう話すのは、3つ上の実兄だ。事情を説明し、新たに公開された写真を見せると、

「うわぁ……明菜ですね。変わらないなぁ……」

 と微笑み、こう続ける。

「明菜は体調が悪いんですか? お酒と辛いものが好きだから、膵臓を悪くしたんじゃ……。ちゃんと健康診断は行ってるんでしょうか? ただただ心配ですよ」