こうなるともう人ごとではすまなくなってきて(笑)」ライブ活動は多忙を極め、次のアルバムにも大きな期待が寄せられる。CMやドラマのタイアップも盛んで、楽曲が世の流行を左右したころだ。当時はカラオケ人気も高く、誰もが歌える歌を求め、新たな曲を待ち望んでいた。シンガー・ソングライターとして、それらに応えていく必要がある。

「朝までに書かなければ間に合わないと言われ、コンサート終わりにスタジオに缶詰めにされたこともありました。ZOOの『Choo Choo TRAIN』の次のシングルで、CMのタイアップも決まっていた。でもいざ完成したら、“すごくいいから取っておこう”と言われて(笑)。ZOOには改めて『Gorgeous』を提供しています」

 デビュー以来数々の楽曲を世に送り出し、ヒットチャートをにぎわしてきた。なかでも最大のヒットは1999年『タイミング~Timing~』。バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』のユニット・ブラックビスケッツに提供した曲で、メインボーカルをビビアン・スーが務めている。

ビビアンにはそれ以前、日本デビュー時に『一千一秒の秘密』を提供しています。けれどあまり世の中に浸透することがなくて、リベンジという気持ちで作った曲でした」

 『タイミング~Timing~』は売り上げ約150万枚を記録。歴代シングル売り上げランキング100位入りの快挙を達成し、日本ゴールドディスク大賞ソング・オブ・ザ・イヤーを受賞している。

事務所からの独立、離婚でメンタルの危機

 ヒットメーカーとして輝かしいキャリアを重ねるも、40歳を境に一時休業を発表。ひとりサンフランシスコに渡る。

「事務所を独立し、離婚もあった。この先ひとりでどうするか、考える時間が必要でした」

 1年間をサンフランシスコで過ごし、そこでの出会いが方向性を大きく変えた。

「現地のプロデューサーに“圭三はもっと自分の血に素直になったほうがいい”“やりたいことはわかる。けれどそれをアイデンティティーとして表現しないと誰も驚かない”という言葉をもらって。それはもう答えのようなものでした」

 とはいえ自分に何ができるのか……。ヒントになったのが現地で目にした光景だった。

ワールドツアーをするようなミュージシャンが故郷のお祭りで演奏して、地元の人と一緒になって盛り上がっていた。すてきだな、音楽ってこういう関わり方もあるんだと思って。僕も地元・岡山や子どもたちのために何か貢献ができないか考えるようになりました

 帰国早々、チャリティーコンサートの出演依頼が届く。主催は岡山の開業医で、フィリピンのストリートチルドレンを支援するという、願ってもない申し出だった。フィリピンにも出向き、「これは一度のコンサートで解決できる問題ではない。恒久的な活動を」とYae、原田真二とともにチャリティーシングル『LIGHT HOUSE OF LOVE』をリリースしている。