渡邉さんが取材し続けた美智子さまの素顔

 1968年の大卒初任給が約3万円であることを踏まえると、かなり高価な買い物だ。1人の女性として、美智子さまへの憧れを募らせる一方、日々の取材を通して、素顔を知った。

「ユーモラスなご性格がよくわかるエピソードがあります。昭和50年ごろでしょうか。一重や奥二重の目をパッチリ二重に見せるアイテープが流行り始めていました。あるとき、奥二重の美智子さまが、アイテープをつけていらして。私が“えっ!”と驚くと、“おわかりになる? アハハ”と、笑われたのです。上皇さまがおっしゃるとおり、おちゃめな一面がおありなのだと思いました」

 プライベートで、美智子さまのお住まいを訪れたことも。

「私の幼稚園時代の友人が、偶然にも美智子さまが通われていた料理教室のお仲間だったことがきっかけでした。浩宮さまを妊娠されていた美智子さまに、料理教室のメンバーで丁寧に作ったコンソメスープをお届けしようということになり、私も誘っていただいたのです。美智子さまは、和装の寝間着の上にガウンという装いで、東宮仮御所の玄関においでになりました」

ご成婚パレードを中継する渡邉みどりさん。まだ女性のディレクターは少ない時代だった(本人提供)
ご成婚パレードを中継する渡邉みどりさん。まだ女性のディレクターは少ない時代だった(本人提供)
【写真】学生時代の美智子さまが美しすぎる

 当時の東宮侍従は、その場にいた渡邉さんを「美智子さまのご友人」だと早合点した。

「後日、皇太子ご夫妻(当時)が公務で地方にご出張中、お留守番の侍従のもとへ陣中見舞いに伺うと、先の侍従が“ご覧になりますか”と言って、お部屋を見せてくださったのです。東宮仮御所の応接間には大きな絵が飾られていました。満開の梅と、小さな鳥が2羽描かれた、前田青邨さんの『紅白梅』という作品でした。美智子さまは、この絵をモチーフにした着物を注文なさったと聞きました。梅がお好きなのでしょう」

 少しでも美智子さまの日常をつかむべく、一般の人々に紛れて赤坂御用地の除草や清掃をする勤労奉仕団に加わった。

「割烹着に手ぬぐい、長靴という格好で草むしりをしていると、美智子さまが3歳くらいの浩宮さまと一緒に“ご苦労さまです”と、お出ましになりました。“ナルちゃん、ご挨拶は”と、美智子さまが浩宮さまの愛称を交えて呼びかけられると、3歩ほど前に出て“ごきげんよ~”と、お辞儀されたのです。奉仕団一同、とても盛り上がりました。“国民とともにある皇室とは、こういうことか”と感動しましたね」

 美智子さまの幼少期を知る人々にもたびたび取材した。

「戦時中、美智子さまが疎開された群馬県の館林南国民学校(現・館林市立第二小学校)の先生は、“幼いころから人格者だった”と話していて、頭にシラミがいる子どもが腹痛を訴えた際、美智子さまはおぶって保健室まで連れていかれたといいます。この学校には今も、小学6年生時代の美智子さまが描かれたユリの絵が飾ってあります」

 美智子さまは戦禍に追われるように軽井沢の別荘へ移り、そこで終戦の日を迎えられた。

「軽井沢でのご様子について、ご親戚に取材したことがあります。別荘で飼っていたヤギの乳搾りがいちばんお上手なのが美智子さまだった、と。当時から何事も器用にこなされていたのかと思いきや、煎じ薬として使用するゲンノショウコという植物を見分けるのは苦手だったそうです」