目次
Page 1
ー いい子を演じていた学生時代
Page 2
ー 「公務員になって」その言葉の真意とは
Page 3
ー ストレスが重なって緊急入院
Page 4
ー お金の無心を続ける母との“訣別”へ

 父親の振る舞いのせいで離れてしまった母親と娘の心の距離。お金を無心する母の声を聞くたびに縁を切ろうと思い詰めた娘が“悟った”こととは―。

「母は、私が小さいころはとても可愛がってくれたんです。でも、いろいろな“歯車”が少しずつズレ始め、まさかの毒親に……。そんな現実をなかなか受け入れられませんでしたが、自分の“死”が見えたことがきっかけで母と離れることを決意したんです」

いい子を演じていた学生時代

 こう語るのはピアニストの絵里香さん(仮名・49歳)。地方出身の絵里香さんは小さいころから成績が優秀。父親は教師、母親は小さな会社で事務職に就いており、両親の自慢の娘だった。

「私が初めて両親に反抗心を持ったのは、中学生のころに音楽クラブに入部したとき。両親は部活より勉強を優先して、国立大学の教育学部に進学し教師になってもらいたいと口にしていました。でも私は教師にまったく興味がなくて。当時はこの思いを両親に話しませんでした。両親の前では、いい子を演じていたのだと思います」

 10代のころは横暴な父に辟易していたが、そんな父は病弱で入退院を繰り返していた。

「父が入院するたびに母と6歳年下の妹と3人で外食したことを思い出します。まるで母子家庭のようでした。今思えば、母とはあのときがいちばんいい関係でしたね」

 両親の期待を一身に受けていた絵里香さんだったが、大学の進学先について衝突する。

「高校のころからジャズに心酔してジャズピアニストになりたかったんです。でも、音大への入学は実技の面などで難しいので、芸術学部のある私立大学への進学を希望すると、親から猛反対されました」

 母親は経済的な面から国立大学への進学をすすめてきた。理由は、父親が生活費をあまり家に入れず、お金がないからだという。絵里香さんは高校を卒業後、東京近郊の国立大学に進学。すると母親から“公務員になって実家の家計を支えてほしい”と懇願された。

「私が大学進学のために上京してから、妹は父からDVを受けるようになりました。私は母に父と妹を離したほうがいいと助言しましたが、母は首を縦に振リませんでした。後からわかったことは、世間体を気にしていたんです。母親失格だと思っています」

 妹は高校を卒業すると、父親から逃げるように関東地方の温泉宿に就職。そんな妹のことも気がかりで崩壊寸前の実家と縁を切ることができなかったが、絵里香さんは自分の人生だと思い、夢を諦めるつもりはなかった。

「大学時代はバイトをしながらジャズピアニストの先生に師事して、いつか願いを叶えようと頑張っていました。でもひとまず、母親の願いを聞いてあげたほうがいいと思い、公務員試験を受けたら合格したんです」