「彼女もすごく良い人生を生きたと僕は信じています」

 11月16日、石田純一は目を赤くしながらも報道陣の前で10月8日に移住先のハワイで亡くなった元妻で女優の松原千明さんへの追悼コメントを発表した。

「ふたりは'88年に結婚。当時の純一さんはトレンディドラマで大人気、松原さんも清純派の美人女優と売出し中でしたから、大きな注目を集めましたね」(スポーツ紙記者)

'90年には後にモデルとなる長女・すみれが誕生。家族が3人になった矢先の'91年。『週刊女性』は、純一が過去に結婚と離婚をしており、隠し子であるいしだ壱成の存在を報道した。

 壱成は当時の様子をこのように振り返る。

「それまで僕は実の母の元で生活していましたが、週刊誌で報じられてから父と交流するようになり、その縁で芸能界に入ることになったんです。その後、“芸能人同士が家族のほうがいいだろう”と母のすすめもあって、'92年からは石田家に籍を移すことになったんですよ」

 突如、松原さんの継子となったが、関係は良好そのものだったという。

「実の子のように接してくれましたね。仕事に関しても演技の心構えやテレビ業界の用語を丁寧に教えてくれて、父よりも頼りにしていました。僕が俳優として活躍するのをすごく喜んでくれて、本当の母のような存在でした」(壱成、以下同)

 順風満帆だった石田家だが、'96年に純一がモデルの長谷川理恵と不倫関係だったことが発覚。その後、純一の“不倫は文化”発言がバッシングされたこともあり ‘99年に夫婦は離婚。松原さんは平穏な生活を求めて、当時7歳のすみれと一緒にハワイに移住することになる。

「こんなことになってごめんね」

「離婚直後、千明ちゃんから僕宛に “元気ですか? こんなことになってごめんね”って、離婚したことを詫びる手紙が届きました。悪いのは父なのに申し訳なくって……。あのときは父を恨みました。'01年に僕が大麻取締法違反で逮捕されたときも、千明ちゃんが“またイチから頑張ろう”って言葉をくれて、当時は支えになりました」

 その後は芸能界から離れていた松原さんだが、すみれが純一との間を取り持ったこともあり、元夫婦同士での交流は再開された。一方、壱成は'99年以降、松原さんと直接会う機会はなかったという。

「僕自身、最近まで地方に移住したり、仕事がままならない時期もあって会うのを遠慮していたのかもしれません。今年の春にはすみれちゃんに子どもができたり、僕と父の初共演映画も実現したりと、いろいろ家族で話したいことがあったのに……。今となれば、会っておけばよかったと後悔しています」

 松原さんが壱成の母であった期間は7年間かもしれないが、母子の絆は今でも続いている――。