レベルが高かったはずである。阿久悠さんはどうだったのか。都はるみ(74)の『北の宿から』(1975年)、石川さゆり(64)の『津軽海峡・冬景色』(1977年)、ピンク・レディーの『UFO』(1977年)などを書いた人である。

楽曲作りの時は厳しかった阿久悠さん

 筆者がお会いした生前の阿久さんはやさしく、取材で自宅に行ったところ、わざわざ書斎まで見せてくれた。その書斎はこぢんまりとしており、デスクでなくて座机で詞を書いていたのが印象的だった。

「仕事のときは厳しかったですよ」(元レコード会社幹部)

 今もカラオケでよく歌われる、ペドロ&カプリシャスの『ジョニィへの伝言』(1973年)の歌詞には「サイは投げられた」というくだりがある。古代ローマの政治家・カエサルの言葉だ。このくだりで阿久さんと担当ディレクターが激突した。

 担当ディレクターはこのくだりが「難し過ぎる」として、書き直しを強く主張。だが、阿久さんは最後まで譲らなかった。もしも、このくだりが削除されていたら、詞の魅力は大きく損なわれていただろう。

 今と昭和ソングでは作り方がまるで違うという。

昭和期はディレクター、作詞家、作曲家、編曲家(アレンジャー)らがそれぞれ激論しながら仕事をしていた。まとめ役がプロデューサーだった。今の曲づくりはほとんどプロデューサー任せ。プロデューサーの指示でディレクターが詞や曲を集め、いい部分だけ切り貼りして、1曲作ることもあります」(同・元レコード会社幹部)

 昭和ソングと作り方がそっくりなのがK-POPなのだそうだ。

昭和ソングとK-POPにある“共通点”

昭和ソングとK-POPが若者にウケているのは無関係じゃないんです。作り方がほとんど同じなんですから。今の日本の曲は売ろうとするあまり、『サビはいいが、ほかはイマイチ』『イントロで奇をてらうから、全体のバランスが悪い』『詞が分かりにくい』といったものが少なくない。だから、残りにくい。3年経つと忘れられてしまう曲が多いですね」(同・元レコード会社幹部)

 いつの時代も自分で曲をつくり、歌うシンガーソングライターは多いが、これも昭和期と今では違うという。

「たとえば中島みゆきさんには瀬尾一三さんという極めて優れたアドバイザーがいる。本業はアレンジャーですが、みゆきさんに適切な助言をしている。一方、今の時代のシンガーソングライターはアドバイザーがいないケースがある。特にバンド系です。すると、方向性の決定や曲の修正がしにくくなってしまうんです」(同・元レコード会社幹部)