東京の街を走って走り抜けた

 石垣島に住んでいた小学1年生のとき、民宿を始めるため両親が生まれ育った小浜島へ移り住んだため、「仕事の流れはガキのころから見ていたし、ひとつ屋根の下にお客さんがいる環境で育ちましたから、戻ってきてどうしようと思うことはなかったですよ」と言う。

 しかし16歳でDA PUMPのデビューが決まり、沖縄から上京する1か月前、民宿を切り盛りしていた母親が急逝していたと明かす。

「当時はもう戦いに行くような、頑張らなきゃという気持ちでしたね。周りに落ち込んでいる姿を見せたくなかったので、よくひとりで東京の街を走っていました。走っている間だけ無心になれて、自分と向き合うことができたんです。それで悲しい気持ちを紛らわせていました」

 東京で活躍している間、家族が担ってきた民宿を自身が引き継ぐことは「亡くなった母に呼ばれたのかな」と笑う。

DA PUMPのころに受けた雑誌のインタビューで、いずれは島に戻って、大きな船に乗って、その上で三線弾いて歌ってるんだ、とよく話していたので、ウソはなかったかなと(笑)。小浜島へ帰ることは僕自身が決めたことで、反対する人はいなかったです」

大きな転機は“家族”ができたこと

 宿の仕事を始めたころは、DA PUMP時代のファンや、東京の知り合いが多く来てくれたという。

「でも中には僕が芸能の仕事をしていたことを知らずに来てくれる人もいるんですよ。自分は見た目がこんな感じなんで、港までお迎えに行くと、『チャラい従業員だなぁ』と思われてたでしょうね(笑)。それで他のゲストさんと話していると、『この人、オーナーなの?』と気づかれたりして。

 民宿ではDA PUMP時代のことは自分から話さないので、他の方から聞いて『そうだったの!?』と言われることもありますね。今は小さなお子さんからおじいちゃん、おばあちゃんまで幅広い年代の方が来てくださってます。初めてウチの民宿へ来て満足された方って、到着したばかりのときの表情と、帰り際に『ありがとう』って言ってくださる顔の筋肉の解け方が違うんですよ。そういう表情を見ると、やりがいがありますね」

 そしてこの10年での大きな転機は「家族ができたこと」。

ひとりのときはいい意味で守るものがなかったし、自分はあんまり欲もないので損得を考えずにサービスして、予約も電話で受けるだけ、宣伝もブログくらいだったんです。でもエステティシャンとして小浜島のリゾートのスパに働きに来ていたなっちゃん(妻)と知り合って2016年に結婚して、子どもたちが生まれてからは、民宿のホームページを作ったり、ちゃんとしました(笑)