さかなクンが高校生のころの話を、隣人だった人が話してくれた。

さかなクンは“ミー坊”ではなく“マー君”と呼ばれていました。お母さんは、さかなクンと一緒に車で海水をくみに行ったりしていました。子どもたちが興味を持っていることを自由にやらせていた感じです。お父さんとは話したことがありません。そもそもコミュニケーションをとらない人でしたから」

 家族の不和は、近所の誰もが知っていたという。

「言いにくいんですが……お父さんは、ひと言でいえば乱です。普段は物静かだけど、囲碁の対局で負けたりすると、おを飲んで、お母さんに当たり散らしていました。夜中に大声が近所に響いていて、なんだか気の毒でしたね」(近所の住民)

酒を飲んで暴れる父親

 さかなクンが父を語ろうとしないのは、を飲んで暴れる姿を覚えているからなのだろうか。

「宮沢九段は、とにかくおが好きで、電車に乗る前に駅の売店でおを買って、電車内で一杯ひっかけるほど。勝負事も大好きで、最寄り駅に着いたら必ず駅前のパチンコ店でひと勝負します」(囲碁業界関係者)

 父は月に数回しか家に帰らないようになり、さかなクンが高校を卒業すると、家族は綾瀬から引っ越していった。

「さかなクンが『TVチャンピオン』の全国魚通選手権で準優勝したのが高校3年生のとき。その後5連覇して殿堂入りして、名前と顔が知られるようになります。しばらくペットショップやお寿司屋さんで働いていましたが、2000年ごろからタレント活動が軌道に乗り始めました。そのころには父親との関係は途絶えていたのかもしれません」(前出・テレビ局関係者)