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ー 明菜の恩人・音楽プロデューサーの寺林晁さんの逝去で
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ー 元恋人のマネージャーはサイトの引き継ぎをさせずに

《応援してくださるファンのみなさまへ。先日はいきなりのお手紙でびっくりさせてしまってごめんなさいっ! 信じて待ってくださり、本当にありがとうございました》

 '22年も、あと数日で終わりを告げようとする12月下旬、中森明菜の公式ツイッターが更新された。

「明菜さんは'22年8月に突然、ツイッターアカウントを開設。新しい公式サイトも立ち上げ、新たな個人事務所への移籍を報告し、再始動することを宣言しました。ただ、その後しばらくは何の動きもないままでしたが、12月24日のクリスマスイブに公式サイトをリニューアルしたことを発表。27日には新たなファンクラブも発足させました」(スポーツ紙記者)

 さっそく“新”公式サイトをのぞいてみると、新たに撮影されたと思われる明菜の近影写真が掲載されている。

「最後にファンの前に姿を見せたのは'17年に開催したディナーショー。当時は“自虐トーク”が目立って、無理して歌っているのではと心配する声もありました。新たにアップされた写真を見ると、顔は少しふっくらしたような印象で、体調が回復してきた証しかもしれません。年末の紅白での復帰はありませんでしたが、やっと動き始めたなという感じですね」(同・スポーツ紙記者)

明菜の恩人・音楽プロデューサーの寺林晁さんの逝去で

 “伝説の歌姫”の復活が待ち遠しいけど、それはまだ先になりそう。というのも、こんな話がある。

「'22年11月28日に、明菜さんの恩人である音楽プロデューサーの寺林晁さんが77歳で逝去されました。葬儀は12月に執り行われましたが、明菜さんは参列されなかったようです。明菜さんにとって恩人といえる人は何人かいますが、寺林さんは“恩人中の恩人”だったのに……。まだ人前に出られる状態じゃないのかと思いました」(レコード会社関係者)

 寺林さんは、明菜を売り出し、彼女の窮地を救ってきた。

「寺林さんはワーナー・パイオニアで、明菜さんのデビュー当時から彼女の制作宣伝を統括。明菜さんがワーナーを離れてからも親交は続き、所属していたレコード会社から契約解除された後の'02年に明菜さんがユニバーサルミュージックと契約できたのも、寺林さんの尽力があったからだそうです。寺林さんは晩年“もう1度、俺が明菜を手がけたい”と語っていました。明菜さんも“寺林さんなら、ぜひ”とプロデュースを希望していたそうなのですが……」(同・レコード会社関係者)

 体調が今も思わしくないのだろう。歌手として長きにわたって支えてくれた恩人との別れにも姿を見せなかった明菜だが、ファンに向けては5年ぶりとなる“肉声”を発信していた。

「新しいファンクラブには、すぐさま入会しましたよ!」

 弾む声でそう話すのは、往年の明菜ファンの男性だ。