夫婦で続けざまにがんに、闘い続けた日々

手術の翌日の病室にて。痛くてたまらなかったけれど家族が支えてくれたと山本譲二さん
手術の翌日の病室にて。痛くてたまらなかったけれど家族が支えてくれたと山本譲二さん
【写真】「痛くてたまらなかった」大腸がん手術翌日、やせ細った姿の山本譲二さん

 家族の思いが通じたのか、悦子さんは乳がんを乗り切った。しかし夫婦の試練はまだまだ続く。69歳のときに今度は山本さんに大腸がんが見つかったのだ。7時間に及ぶ手術を受け、腸を20センチも切除。

「今までは、太く短い人生を送ればいいんだと言い続けてきたけれど、がんという現実を前にして、そんなのは強がりでしかなかったとわかりましたよ。病室の白い壁に向かって、家族のために生きていたいと手を合わせることもありました」

 そんな夫を悦子さんはどう見ていたのだろう。

「頑張れとか、1度も言わなかった。毎日病室に来ては、明るく振る舞って、ケラケラと笑って帰っていきました。

 自分もがんと闘った経験があるからこそ、術後の痛さ、つらさを知っている悦ちゃん。本当は痛くてたまらない俺。夫婦だから、余計なことを言わなくたって互いの気持ちがわかっているんだよね」

 それでも、気丈に振る舞っていた悦子さんの感情が一気に噴き出した瞬間が。

「抗がん剤治療は必要ないと聞いた瞬間に泣き崩れたんですよ。抗がん剤治療で俺が苦しまなくてすむ、転移の心配も少ないってわかって、安心したんだね。抱き起こしながら“悦ちゃんありがとう”って素直に言葉が出ました」

 それから10年以上、夫婦で病気と闘い続けてきた。

「つらいことが重なったけれど、そういう年回りなんだと思うんだよね。親が老い、自分や連れ合いの身体に不調が出るようになる。つらいことが起きるのは生きているから。俺は何とか苦しい時を乗り越えられた。

 それは、病気だけでなく、人生の大事なポイントで、いつも悦ちゃんに助けてもらってきたから。悦ちゃんあっての俺なんです。山本譲二は、これからもまだまだ歌いますよ

お話を伺ったのは……

山本譲二さん○30歳のときに『みちのくひとり旅』がミリオンセラーになり歌謡各賞を総ナメにし、演歌・歌謡界で確固たる地位を築く。最新シングル『睡蓮』好評発売中。USEN(C-42ch)『ジョージのぶち好きやけー!』、東海ラジオ『山本譲二の住まいるフレンド』放送中。糟糠の妻と支え合いながらがんを乗り越えた体験を綴った初エッセイ『いつか倖せ来るじゃないか』(KADOKAWA発行)。

取材・文/水口陽子