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ー 「もっと将来を考える時間が欲しかった」

 SPEEDが誕生したのは1996年1月。最年少の島袋寛子は当時、小学5年生(11歳)だった。同年8月にCDデビューを果たすと、ヒット曲を連発。だが、2000年3月に解散してしまう。その後、何度も再結成しているが、大多数の人にとってのSPEEDとはこの約4年間を指すのではないか。

 1歳上の今井絵理子とのツインボーカルとはいえ、いちばんのキメどころを歌うのは島袋。最年長のリーダー・新垣仁絵はダンス担当で、上から2番目の上原多香子は美人担当などと呼ばれた。島袋のキレのいい高音ボーカルはグループの象徴であり、沖縄アクターズスクールの先輩・安室奈美恵にも匹敵するほど本格的だったのだ。

 ただ、解散のきっかけも島袋の「恋」だった。こちらもなかなか本格的で、ジャニーズJr.(退所後、SPEEDと同系列の事務所に在籍)と付き合い、まだ中3ながら、半同棲状態とも報じられた。

 その記事の前に、相手が解雇されると、島袋が「私だけクビにならないのはおかしい」と反発。「事務所をやめて、沖縄で一緒に暮らす」と言い出した、とされる。

 ワイドショーでは島袋の母が「ふたりを結婚させてやりたい」と理解を示し、会見では島袋本人が「大事な人です」と説明。さらに、

故郷に帰ってお店をやるのが夢

 というプランも語った。

 とはいえ、そのプランは実現せず、彼女はソロ活動をしたり、今井とユニットを組んだり、女優をやったりしながら、現在に至っている。

「もっと将来を考える時間が欲しかった」

 私生活では、20歳のとき、かなり年上の大物芸人との熱愛が話題に。その12年後、大衆演劇出身の俳優・早乙女友貴と結婚した。相手はまだ20歳で、年の差婚としても注目されたが、今年1月に離婚。約6年の夫婦生活に終止符を打った。

 このニュースが個人的にちょっと残念なのは、お似合いの夫婦だと感じていたからだ。早乙女は兄・太一とともに幼いころから子役として舞台に立ってきた。3歳からレッスンに通い、子役的存在として世に出た島袋の気持ちも理解できそうな気がしたのである。ただ、よく考えてみたら、島袋が若くして到達した状況は特殊すぎる。前出の会見では、

「もっと将来を考える時間が欲しかった」

 という発言もしていたが、普通の人が夢見るような「将来」をすでに中学生の段階で実現していたのだ。この発言は、功成り名を遂げた成功者が、

「もっと第二の人生を考える時間が欲しかった」

 と、言っている感じに近い。グループ名のとおり、彼女たち4人は芸能史上最速で第二の人生を迎えてしまったともいえる。そういう意味で参考にできそうなのが、今井の展開だ。こちらは離婚後、政界に進出。解散特番で「SPEEDは居心地がすごくいいところで、天国みたいだった」と語った彼女は、おそらく組織への帰属意識が強いタイプだ。自民党を次の「天国」に選んだということだろう。

 一方、島袋は天才ならではの自由を好むタイプに思える。だとしたら、かつてのプランでもあった「故郷に帰ってお店をやるのが夢」を実践するのもよいのではないか。

 芸能界ではもう、一生分の仕事もしたし、思い出もできたはず。何をやるにしても、10代前半で味わったような刺激をもう一度味わうのは難しいだろうが、店に飽きたらまた、歌えばいいのだ。彼女が歌えば喜ぶ人もいるし、歌えば喜ばれる曲もいっぱいあるのだから。

ほうせん・かおる アイドル、二次元、流行歌、ダイエットなど、さまざまなジャンルをテーマに執筆。著書に『平成「一発屋」見聞録』(言視舎)『平成の死 追悼は生きる糧』(KKベストセラーズ)。