映画は公開され、出産を終えるも鬱に

 産後は東京の実家に里帰り。朝起きて窓を開けると、目の前にある梅の木に花がついていく様子を毎日写真に撮り続けた。それ以外は、用意してもらったご飯を3食食べ、授乳して過ごす。

「ベッドで新生児を抱きながら、意味もなく目から水が流れ続けるんです。今思えば産後鬱だったと思うんですけど、何で泣いているのかも、わからない。両親らが部屋に様子を見に来ると、何時に扉を開けても私が全く同じポジションで、全く同じ顔して座っているから、『超怖かった』と後々言われました(笑)」

 2か月後に高知に戻り仕事を再開したが、母になった安藤の心と身体は、大きく変化していた。

 新たな仕事の依頼が次々と舞い込む中、出産前から約束していた次の小説の執筆に取りかかったものの、うまく書けない。

約束を破るのは人として違う」と焦る一方で、「赤ちゃんにだけ集中したい」という思いもある。何より、心が動かず、作品を生み出せないのが苦しかった。

「ちょっと表現があれですけど、まあ、ゲボでも、クソでも、汚物でも、何でもいいから、ふりしぼれーと(笑)。それでダメなら見捨てられても構わないみたいな、超ネガティブ(笑)。

 なんか自分を変に追い詰めて、本来の自分の魂の声が聞こえなくなっていた。魂の声というのは、誰もが持って生まれた自分が好きなこと、ワクワクする気持ち。それを忘れていたというか、見えなくなっていました

 身体を動かせば心が動くかと思い、赤ん坊を連れて小笠原諸島に1か月半滞在した。高知に帰って一気に小説を書き上げたが、お蔵入りに……。

 そして、突然、こんな宣言をしてしまう。

映画監督やめます」

 その理由は、自分でもまだわからないとしながらも、そのときの気持ちを丁寧に言葉にしてくれる。

「小説も書けない、映画も撮れない、何もできない……。そんな自分が最も大事な、絶対に手放すべきではないものを手放したんですね。自分の魂を真っ二つに引き裂く、一番、自分を傷つける行為をして、自分で自分を終わらせたわけです。今、振り返るとそうしたのはよかったと言えるんですけど、その話をするだけで、泣けてくるもん」

 幼いころから常に身近にあった映画。その映画への深い愛があるからこそ、自分を許せなかったのだろうか─。