2003年、帯状疱疹のため入退院をされて、静養に入られた。この時点で、心の病があることも明らかだったが、精神科医の主治医も病名もつかないままだった。

 宮内庁病院には精神科医がいないことから、宮内庁幹部は“(担当医を)探している”とは言っていたが、ご出産後からお身体の不調を訴えていたにもかかわらず、時間だけが経過していた。

被災者からの言葉が「癒し」に

 雅子さまは宮内庁のすすめもあり、ご実家の小和田家の軽井沢の別荘で静養したが、治療が行われていない以上、限界があったという。打開策として、皇太子さまが動かれた。2004年、単独の外国訪問前の会見の中で、雅子さまの置かれてきた状況とお気持ちを訴えられ、皇室内には激震が走った。

 皇太子さまの「人格否定発言」とまで言われたが、その後、担当医が着任し、治療を開始。2か月後、病名は『適応障害』と発表された。雅子さまのご病気は、皇室の中でご病気になって、皇室の中で治していかなくてはならないという難しさがあった。

 さらにご体調が整わずにスケジュールを変更したり、予定時間がずれたりすることもあったため、厳しい報道にも晒され続けたが、ご病気を治すことだけに向き合われてきた。心のご病気には、家族の支えが必要だという。皇太子さまと愛子さまの存在は、とても大きいものだといわれた。

即位5年と結婚30年を記念した特別展を鑑賞された両陛下と愛子さま(5月30日・中央区)
即位5年と結婚30年を記念した特別展を鑑賞された両陛下と愛子さま(5月30日・中央区)
【独自写真】愛子さま、扇子を持ちながらキレキレのダンスを披露

 皇后となった現在でも代々の皇后に受け継がれてきた代々の御養蚕の作業に、陛下と愛子さまが出席なさるのも、そうした理由があるようだ。雅子さまの公務に変化が見え始めたのは、2011年の東日本東北3県の被災地へのお見舞いからだった。雅子さまが被災者たちに声をかけられると、今度は被災者たちから、

「ご病気なのにこんなところまで来ていただいて」
「大変なところありがとうございます」

 という言葉が返ってきた。癒し、癒されるという相互理解が生まれたのだった。