積極的に異業種へ飛び込んでいく好奇心とフットワークの軽さ。本音を引き出すことができたからこそ、岩田さんは“最も食い込んだ記者”へとなっていった。安倍元首相と生前過ごした日々を、岩田さんが回顧する。

「安倍さんは、1年で首相を交代したことで、退陣後、自民党が野党になるきっかけをつくったとして、強い批判を受けました。そんなさなかに、安倍さんから『居酒屋に行きたい』と連絡があり、一緒に食事をしたことがあります。

 店長が気を利かせて、生きた白魚をサービスで出してくれたのですが、安倍さんはお椀の中で泳ぐ白魚をしばらく眺めた後、『かわいそうだから、このままいけすにかえしてあげてください』と言って、口にしませんでした。今でもその表情が印象に残っています」

 帰りがけ、店の前でスーツ姿の集団から「安倍ちゃんだ!」と声をかけられたという。罵声を浴びせられるのでは……、ひりついた空気を岩田さんも感じ取った。だが、

「男性の一人が『一緒に写真を撮ってください』と。撮影に応じた後、『オカンが喜ぶわ。今年の年賀状にしようかな』と話していて。その姿を見た安倍さんは、少し目に涙をためて、『まだ頑張らないといけないね』と自らに言い聞かせるようにつぶやいていました。つらい時代に味わった気持ちが政治家を成長させるのだ……。私も身の引き締まる思いがしました」

 自民党が野党になった後も、岩田さんは安倍元首相の自宅を訪問し続けた。

「第1次内閣、第2次内閣それぞれ異なる反省点はあったと思います。一方で、安倍さんの人柄や功績が生前にもっと伝わっていたら。近くで安倍さんを見てきたからこそ、これまで知られていなかった安倍晋三像を伝えていきたいという思いはあります」

政治家は“なる”よりも見ていたい

 安倍元首相だけでなく、母の洋子さん、妻の昭恵さんといった安倍家の人々とも親しくなり、映画やドラマの話をしたり、健康の相談までされるほどの信頼関係を築いた。
 NHK退局後、本来であれば、安倍元首相に取材を続けながらフリーとして活動するはずだった。ところが、彼は不慮の死を遂げる。

「安倍さんは持病の潰瘍性大腸炎を、新薬でコントロールしつつ、体力づくりにとても気を使っていました。第2次内閣退陣後も、長年の疲労と、新薬の副作用で体調を崩したこともありましたが、それもまた克服した。そうした矢先の不慮の死だっただけに、悔やまれます」