熱が38℃あっても休めなかった

千種 プロレスラーになってなかったら、何になってた?

飛鳥 想像がつかないなぁ。生まれて初めてなりたいと思った職業が、女子プロレスラーだったから。

千種 私はお医者さんになりたかった。小さいころは喘息があったので、常にお医者さんが近くにいたから、なりたいと思ったんだろうね。亡くなった飛鳥のお母さまが、看護師長をやってらっしゃったじゃない?

飛鳥 そうだね。

千種 あるとき、医学書を1冊いただいたの。21歳ごろね。医学書なので生々しい図柄もいっぱい載ってるんだけど、移動中のバスでずっと読んでた。勉強になるなあ、って。

飛鳥 へー、初めて聞いたよ。

千種 医学書を読んでたプロレスラーなの(笑)。お母さまには身体がしんどいときに栄養剤を教えてもらったり、点滴を打ってもらったこともあるし、本当にお世話になりました。

飛鳥 医学書は知らなかったけど、点滴をよく打ってもらってたのは知ってる。昔はそういう身体の管理は自分でしないといけなくて、専属トレーナーももちろんいないし、巡業が多いから、ケガをしても継続的な治療ができなかった。だから、あの時代のプロレスラーってみんな古傷がある。千種もひざが悪いし、自分は両ひざ人工関節だし。

千種 そりゃあ、ちゃんと身体をいたわらずにあれだけの試合数をこなしていれば、何かしらの古傷は残るよ。休んでいられなかったんだから。

飛鳥 熱が38℃あっても、試合してたし。

千種 「とりあえず現場に行って治そうか」っていうのが、全女の常識でした(笑)。

飛鳥 「具合が悪いんで休ませてください」なんて、一回も言ったことないよね。自分たちクラッシュ・ギャルズの看板で地方興行が回っていた時期もあったし、自分たちの試合をすごく楽しみにしてくれている人がたくさんいたわけだし。

千種 そう思ったら、一生懸命頑張るしかなかったよね。行ったら行ったで、みなさんが喜んでくださる。そうするとね、つらさが相殺されてゼロになった。そんな、当時の私たちを喜んでくださったみなさんが、楽しんでくれるであろうイベントを、10月1日に横浜武道館で開催するけど。

飛鳥 本当はね、35周年のときに何かをやろうっていう話を千種からもらっていたんだけど、なんだかんだで実現せず。今年はちょうど40周年だし、私は7月28日に還暦を迎えるっていうこともあって、今の年齢で現実に立ち向かうために、もう一丁踏んばらないといけないなっていうことをお互いが感じた。

千種 自分はまだプロレスに携わっていて、よく「クラッシュ2人がそろってるところが見たいです」というメッセージをいただくのね。あのころ少女だったみんなは大人になった。そろそろ、自分の人生のアーカイブをもう一回楽しんでもいいんじゃない?って思う。

飛鳥 いまだに「2人がそろった姿を見たい」ってずっと思ってくれてる、その声に背中を押してもらえたっていうのもある。

千種 あのころ応援しに来てくれた彼女たちがいなかったら、自分たちは主役になれなかった。

 自分たちのファンは同世代が多かったから、同じようなライフステージで一緒に人生を歩んできた気持ちでいる。つまり、彼女たちも主人公の1人であって、どのピースが欠けてもダメなんだよ。家族のこととか更年期でモヤモヤする、なんて人にぜひ来てもらって、昔みたいに大声を出してほしいな。コロナ禍で抱えた何年か分のフラストレーション、一緒に飛ばそうじゃないかって。

飛鳥 更年期をクラッシュして吹き飛ばそうか。

千種 あっ、それはいいフレーズだね!(笑)