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ー 5年の間に2度の再発、手術前「右胸に謝りました」

 忙しく働く著名人にも闘病経験者が多い乳がん。今や日本では、日本人女性の9人に1人が罹患するといわれている。しかし、早期発見できれば、がんの中でも生存率は高い。がんサバイバーがどのように乳がんを見つけて治療をし寛解に至ったのかをご紹介。病に負けない令和の生き方とは──。

 現在は参議院議員となった生稲晃子さん(55)が最初に乳がんを告知されたのは、42歳のとき。

5年の間に2度の再発、手術前「右胸に謝りました」

 人間ドックの結果で“再検査”となり、精密検査を受け、乳がんが見つかる。

 見つかった腫瘍は1cmに満たない早期のがん。乳房温存手術が決まり、「ここからは回復だけ、と前向きな気持ちになれた」と話す。

 術後、1か月ほどしてから放射線療法に。終了した翌日から、ホルモン治療を行い、「これで大丈夫!」と思っていたという。

 しかし、ホルモン治療を続けていた翌年、手術痕の近くにできたニキビのようなものが疑わしいとのことで検査すると悪性だった。再発したのだ。

「楽天的な私も、再発とか転移という言葉は怖かったです。再発……それがまさか自分の身に起こるとは思ってなかった。これからのことが不安でしょうがありませんでした」(生稲さん、以下同)

 しかし、悪夢は続いた。2013年の秋に右胸の奥に再々発が判明。医師から命を優先するため、右乳房の全摘を提案される。

 とめどなく襲ってくる不安や恐怖。当初は全摘以外にほかの治療法があるのではないかと模索した。

「覚悟を決めたのは医師からの『娘さんが成人するまでお母さんが死ぬわけにはいかないでしょう』の言葉でした。このとき、初めて医師の前で泣きましたね」

 3度目の手術も、腫瘍を部分切除。手術当日に帰宅し、その翌日は何もなかったように番組収録に参加した。そして、その年の終わりに右乳房全摘の手術に挑む。

「手術前、心の中で『ごめんなさい』と右胸に謝りました。私と一緒に生きてくれた感謝を伝えたくて」

 同じタイミングで乳房再建手術も受ける。専用の器具を挿入し、1年以上かけて皮膚を伸ばし、5度目の手術ではシリコン挿入手術を受けた。この乳がん治療の区切りを迎え、闘病を公表したという。

乳がんになったことで、“命”の大切さを再認識できました。これから人生の後半戦、その大切さを、一人でも多くの方に伝えられたら、4年8か月の闘病生活は私の人生の中で決して無駄な日々ではなかったと思えます」

(構成・文/鈴木晶子)