40歳で小説家デビュー

 '03年、伏見にとって何度目かの転機が訪れた。知り合いの編集者に小説を書くことをすすめられ、自身の体験をベースに、ゲイの主人公と母親との関係を描いた作品『魔女の息子』が第40回文藝賞を受賞。40歳で、小説家としてデビューすることになったのだ。

人間って、実際には複雑で奥行きがあるのに、社会批評的なノンフィクションばかり書いていると、物事をどうしても構造的に捉えたり、パターンで考えたりしてしまい、どんどん自分が薄っぺらになっていくような気がした。だから小説を書いてみたんだけど、ノンフィクションを書くときとフィクションを書くときとでは、脳の使っているところが全然違う。

 その経験は自分にとって重要だなと、小説を書きながらあらためて思った。社会に向けて出した感覚が強い『プライベート・ゲイ・ライフ』なんかとは違って、小説は自分のために書いているところがあるかもしれない。ただ、小説は、嘘を書いているのに本当が出ちゃう。ノンフィクションの本は読んでほしいと思うけど、小説は“体臭を嗅がれているような気がして恥ずかしい”と思う自分もいる(笑)」

 一方で、小説は母のために書いたという思いもある。それまでにも、著書や掲載された雑誌など、自慢できそうなものを見せたことはあったが、母親は「良かったねえ」と言う程度だった。ところが、飼っていた猫がテレビに出演することになったとき、母親が親戚中に自慢している姿を見て、伏見は「僕がメディアに出るのはやはり嫌だったのだろうか」「小説の賞がもらえたら、喜んでもらえるのではないだろうか」と思ったという。

新宿二丁目のバーのママに

人の面白い部分を見つけるのが得意な伏見さん。伏見ママに笑ってほしくて店に来る客は多い(撮影/渡邊智裕)
人の面白い部分を見つけるのが得意な伏見さん。伏見ママに笑ってほしくて店に来る客は多い(撮影/渡邊智裕)
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「東京レズビアン&ゲイパレード2001」の実行委員長でもあった、知人の福島光生が新宿二丁目で開いていたゲイバー「mf(メゾフォルテ)」を毎週水曜日だけ借りて、「エフメゾ」というバーをスタートさせたのは、'08年のことだ。

 ゲイバーをやってみたいと考えたのは、「収入源を複数にしておきたい」と思ったこと、そして「自分の居場所となるバーをつくりたい」と思ったことが大きな理由だった。ゲイバーに飲みに行くことはしばしばあったが、それまで「自分の居場所だ」といえるような店はなかった。それなら、自分で自分の居場所をつくってみたいと考えたのだ。

 エフメゾには、伏見の古くからの友人、伏見の本の読者、非常勤講師をしていた大学の学生などが訪れ、にぎわった。その経験を踏まえ、2013年には自身の店「A Day In The Life」をオープンさせた。店名は、伏見が愛するビートルズの曲のタイトルに由来している。その曲は、ジョン・レノンとポール・マッカートニーの共作で、2人の個性が生かされつつ見事に融合している。同様に、人と人をつなげることで、それぞれの個性を生かしつつ新しいものが生まれたら……という思いが、店名には込められている。

「お店の名前がなかなか決まらなかったんですよね。でもある日、伏見さんから『A Day In The Life』にすると連絡が来たんです。『わざと長ったらしくて略しづらい名前にしたの』なんて言ってたけど、いつの間にか伏見さんもみんなも『アデイ』って略してる。一度も縮めて言ったことがないのは私だけです(笑)」

 そう語るのは、現在、同店の木曜日を任されている真紀ママだ。

 真紀ママは4人家族の主婦であり、男性同士の恋愛を扱った創作物を好む、いわゆる「腐女子」でもある。『プライベート・ゲイ・ライフ』をはじめとする伏見の著書を読んでおり、伏見がゲイバーをやっているとの情報を得てエフメゾを訪れ、常連となった。エフメゾでは、やはり常連の作家・中村うさぎが中心となり、課題図書を読んで参加者が感想を言い合う「読書会」が時折行われていたが、そうした活動にも積極的に参加。

「エフメゾは、いろいろなお客さんがいて、まじめな話もふざけた話もできて、楽しかったし行きやすかったですね。深夜になると、伏見さんがカウンターから出てきて、中村うさぎさんと話し始めるんだけど、その内容が刺激的で面白くて。読書会でも、伏見さんの感想は、ほかの人と視点がまったく違っていて、いつも『さすがだな』と思っていました」

「新しい店で曜日ママをやってほしい」と頼まれたときは二つ返事で引き受けた。

 伏見の願いどおり、『A Day~』からはさまざまなものが生まれている。水曜日担当のスタッフ・あっきーを中心とする「二丁目文芸部」は、新宿二丁目にまつわる物語を集めた同人誌『或る日』を、これまでに2冊刊行。現在、私が所属しているドラァグクイーンの歌手ユニット「八方不美人」結成のきっかけが生まれたのも、同店だった。

伏見さんのバーから生まれたユニット八方不美人(左から)ちあきホイみ、エスムラルダ、ドリアン・ロロブリジーダ
伏見さんのバーから生まれたユニット八方不美人(左から)ちあきホイみ、エスムラルダ、ドリアン・ロロブリジーダ