名優との共演も多い。

原節子さんはオーラがあって近寄れなかった。演技を教えてくれたのは、宇野重吉さん。後日、息子の寺尾聰に会ったら“よくうちのオヤジと一緒に仕事やれますね。怒られませんか?”なんて言われた(笑)。宇野さんは偏屈だなんて言われていたけど、オレにとってはいい人。ドラマが決まると宇野さんは“犬塚を呼んでくれ”と、いつも言ってくれていたそうです」

 意外なミュージシャンとの交流もあった。

「家内の行きつけの店に『ゆず』の2人が来るようになって、仲よくしていたらしい。オレもその店に行ったら、『ゆず』が家内を囲んでワイワイやりだした。オレだけポツンと取り残されたよ。オレが芸能人なのに(笑)」

“今晩、私の部屋に来てくれない?”

 森繁久彌さんからは絶大な信頼を受けていたという。

森繁さんは、奥さんがいないところでは下ネタばかり。愛人の家まで連れていかれたこともあった。あるとき“オイ犬塚、この袋をあそこに持っていってくれ”と言われて愛人の家に届けたことがある。中身はお小遣いだったんでしょう。森繁さんが亡くなったから言うけれど、当時はいっさいしゃべらなかったから、信用してくれたんだろうね(笑)

 美空ひばりさんとも、よく酒席を共にした。

オレは酒が飲めないからと断っても“いいから来て!”と。都心にあった自宅のマンションに呼ばれたよ。京都のナイトクラブでクレージーのショーがあったとき、お嬢がやって来た。ショーが終わると“今晩、私の部屋に来てくれない?”と囁いたんです。お嬢のおふくろまで“娘をよろしく”って(笑)。気に入っていただけるのはうれしいけど、さすがにそこまでは付き合えなかったよ」

 生前「なんでオレだけ生き残ったんだろう」と、愚痴ともつかない言葉を繰り返した犬塚さんも天国へ。コミカルだけど、たしかな腕があった昭和の最強バンドは、もう誰もいない。