私が全部のスケジュールの穴を埋めてみる!
上原は想像をはるかに凌駕する過剰なエピソードの宝庫のような人だが、最も驚愕と感動を与えてくれるのはこれしかない。上原と長い共演歴があり、ブルーノート東京で共演した矢野顕子がライブのMCで、
「上原ひろみは、ブルーノート東京に住んでいます!」
と言わしめた理由─。それは世界中がコロナ禍に陥った'20年から、彼女がブルーノート東京で開催した企画ライブ『SAVE LIVE MUSIC』にある。通算110回という、想像すらできないブルーノート東京支援ライブだ。同企画の責任者であった人見さんの談話からは、これこそが上原ひろみの真骨頂だと呼べる魂のすごさが伝わってくる。
「コロナ禍で海外渡航が禁止となり、当然、海外からのミュージシャンも招聘できないので、ブルーノート東京の存続が苦しい状況にありました。そんな中、上原さんから“私が空いたスケジュールの穴は全部埋めてみる”といってスタートした企画が『SAVE LIVE MUSIC』。
ライブハウス営業自粛の流れの中、いくつものジャズクラブが閉店する、先の見えない状況だったので、なんとか自分の知り合いのライブハウスを守りたい一心だったのだと思います。彼女には東日本大震災のときも、一週間公演をやってくれた経験もあったので、何かあれば一緒にやってくれるという信頼感はありました。ただ、今振り返ると、まさかここまでやってくれるとは、さすがに考えてもみませんでした」
危機的状況であっても、そこでライブができるのなら何をやるか、そして自分が今、何をするのがベストかを判断する冷静さ。本来ならライブは生の触れ合いだと考えている彼女にとって、懐疑的であったはずの配信ライブを受け入れる柔軟さ、そして何よりも先の見えないときに動き続ける強靱な精神力─。上原がこれまで育んできたよき資質は、今回このためにあったかとも感じられるほど発揮されていく。
「もともと上原さんのライブは、常にソールドアウトしていた上に、ソーシャル・ディスタンスもあったので、会場の動員は通常の約半分でした。なので配信ライブへの参加は、こちらとしてもありがたかったです。配信の視聴者数は、上原さんが断トツに多かったですし、ブルーノート東京の存在をアピールすることにも大きく役立ちました」(人見さん)
彼女の配信ライブのおかげで、当時、ライブに飢えていた地方在住のファンたちにアピールでき、これまでブルーノート東京に足を運んだことのない人たちといった、新たな客層も開拓できたという。
「上原さんに対しては、あの日々を共に乗り越えてくれた感謝しかないです。コロナ禍だけでなく、その後どうするかにもたくさんアイデアを頂きましたし、ライブの際には、どうすれば感染を避けられるかまでも想定して座席のレイアウトも一緒に考えてくれました。
本来ここまで、ミュージシャンはやらなくてもいいんですよ(笑)。多くのミュージシャンの協力はありましたし、その方々にもありがたいと思っておりますが、やはりあそこまでやってくれた上原さんには、特別な思いがあると申し上げずにいられません」(人見さん)
ふと、上原と矢野のジョイントライブで披露された上原の作詞による『月と太陽』を思い出した。機会があればぜひ歌詞を読んでほしい。人が生きることは誰かを支え、また誰かに支えられていることを描いた静謐な詞を。
ある意味、彼女の人生観はここに全部記されているのではないか。寡作ではあるが上原ひろみは人の心の陰影が描ける、極めて優秀な作詞家だといえるだろう。