アスリートと遜色ない体力
表現者には誰しも必ずエゴがあり、時に作品以上に自己のエゴが肥大して自滅する人も少なくない。上原は自己の楽曲で他者がどう感じるかによって、エゴが解消されるレアケースなのかもしれない。彼女の日本におけるホームグラウンドで、そこで彼女と長く仕事をしているブルーノート東京の人見良一さんによれば、
「例えば、1時間以上も激しいソロピアノのライブ後は彼女も疲労困憊するはずなのに、楽屋に行くと訪れた古くからの友人たちと楽しそうにおしゃべりしているんですよ。この人どれだけ体力あるんだろうと驚かされます(笑)。
アスリートと比べても、遜色ないぐらいかもしれないですよね。ただ誰に会っても態度は変わらないし、うちのスタッフにも丁寧に接してくれるのを見ると、本当に人が好きなんだろうなあ、と改めて思わされますね」
しかし、ステージに向かうとき“ピアニスト・上原”が登場すると……。
「ライブの前もラーメンの話とかを気さくに話してくれる穏やかな人なのですが、ステージに向かう直前、何分か前に表情が変わる瞬間があるんです。そこからはミュージシャンとしての上原さんになる。
初めてライブを見たときに、これだけ弾けて一音一音が響くピアニストが同世代にいたんだと驚愕しましたけど、それから毎回、遊び心を加えた異なる演奏をファンに披露する姿勢を持ち続ける人は珍しいと感じます」
そんな弾き方をする上原だけに、ほかのピアニストにはまずありえないエピソードを人見さんは語ってくれた。
「ピアノのアタックが強すぎて、チューニングしたばかりのピアノの弦を切ってしまい、調律師が頭を抱えたのも彼女以外には記憶にありません(笑)。でもそのハプニングでさえ、その日の演奏の面白さに変えてしまう強さがある。
彼女のすごさを改めて感じた、こんなことがありました。リハ終わりにチック・コリア・トリビュートのビデオを撮影してくれないかと頼まれて収録していると、その最中、何かが彼女に降りてきたかのように感じて、寒気がしたんです。いつもリハでは近くで音を聴いているのですが、やはりそのときの彼女の気迫には、圧倒されたのを今も強く覚えています」
人見さん、そして斉藤さん共に、国内外の優れたピアニストと仕事をしてきた、いわば“超一流”を知る2人。その2人が、上原と同種の資質を持つ日本人は1人しかいないと明言。また筆者もチック・コリアに生前取材した際に彼は、「日本人のピアニストですごいと感じたのは、オゾネとヒロミだね」と即答した。
ジャズとクラシックの壁をいとも容易く突破する“巨人”小曽根真と上原が、並び称されることに納得される方も多いのではないだろうか。
2人のピアニストとしての個性は、'21年のサントリーホールでの共演ライブでも、異なるピアノへのタッチやアプローチでも表現されてはいたが、2人とも音楽に対する狂おしいほどの渇望がチックにまで届いたということでは、同族であったといえるのではないだろうか。
さらにいえばピアノの弦を切るほどの激しい情熱は、どこにもない彼女のオリジナリティーではあるが、しかもその思いがどこかで他者に対して、シェア可能であるようなピアニストは、小曽根クラスでなければ確かに難しいのかもしれない。