脳のトレーニングを兼ねた、恩蔵さんと母のみそ汁作りは3年間続いた。当初心配していたほど症状は急速には進行せず、ちょっとした手助けがあれば、母は長く料理を楽しむことができた。

認知症になっても感情は残る

 しかし6年後の2021年、ついに「重度」の診断がくだる。言葉でのコミュニケーションが徐々に難しくなり、かつて得意だった料理もほとんどできなくなってきた。それでも恩蔵さんが台所に立つと、母もあとをついてきた。

「認知症が進んでも、その時々の感情はあって、ちゃんと残っています」と話す恩蔵さん
「認知症が進んでも、その時々の感情はあって、ちゃんと残っています」と話す恩蔵さん
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「母は私が料理が苦手なことを知っているんです。だから『何か娘の手助けをしなくては』と思ったのでしょう。ある時は居間に畳んであった自分の洋服をわざわざ崩して、畳み直し始めました。

 行動だけを見ると無駄に思えますが、もともと母は人のためにいつも動き回っている人だったので、無意識に手作業をしていたのだと。そう考えると、かつての記憶をなくす中でも、“その人らしさ”は失われないのだと思いました。悩みながらも、お母さんはお母さんなんだなと思い続けた8年間でした

 恩蔵さんは人間の感情のメカニズムを研究している脳科学者。そんな恩蔵さんの目に、認知症の母はどう映ったのだろう。

ある日、母の友人が音楽好きな母を音楽会に誘ってくれました。帰宅した母に『どうだった?』と聞くと、『全然良くなかったわ』と言ったんです。でも、夕食の時にもう一度尋ねると、今度は『すごく良かったわよ!』って。矛盾して聞こえますが、この時、両方とも本当の気持ちなのだろうと思ったんです

 認知症でない人でも、何かの感想を聞かれたとき、たとえ「すごく良かった!」と答えたとしても、実際にはその中に良い瞬間も悪い瞬間もあって、感情は細かく動いているはずだ。

母も、友人と会えて楽しかったのだろうし、うまく会話できず、もどかしかったのかもしれない。電車が不安だったのかもしれないし、音楽は良かったのかもしれない。『良くなかった』も『すごく良かった』も、どちらも本当なんです。矛盾していないんですよ

 言葉でのコミュニケーションが難しくなっても、恩蔵さんは母の感情はずっと生き生きと働いていると感じていた。

認知症になると、論理性や会話能力など、できることが減っていきます。でも、感情は残るんです