学生らの不登校や、新入社員の退職が増えるとされる「魔の6月」。受験戦争や就活が過熱の一途をたどる中、「いい大学からいい会社へ」のプレッシャーに押しつぶされそうな日本の若者たちに、エリートの道からあえて外れた芸人の谷拓哉さんが自身の貴重な体験を語ってくれた。
1番になりたいと思ったことがない
人気お笑いコンビ「パンプキンポテトフライ」を解散し、今年の春にピン芸人になったばかりの谷拓哉。テレビでは女たらしの“クズ芸人”キャラで注目を集めるが、実は兵庫県内有数の進学校出身。早稲田大学への進学を検討していたという。
だが、同級生からお笑いの道に誘われたことをきっかけに、あっさりと進路変更。高卒で芸人を目指すことに決めた。「1番になりたいと思ったことがない」と語る彼は、常に向上心が求められる世の中で、学歴にも仕事にも、何事にも執着せずに生きている。
「高校生のとき、大学受験をしなかったのは学年で僕と相方の2人だけ。進学校でしたし、先生や親には多少心配されましたね」(谷、以下同)
同級生らが受験勉強に励むなか、違う道に進むことに不安はなかったのだろうか。
「昔からある程度勉強はできたんで、この高校に入るときもものすごく努力をしたわけじゃないんです。結局、心血注いで手に入れたものじゃないから、学歴に対して執着がなかったのかも」
とはいえ、競争の激しい芸人の世界で成功するとは限らない。親や先生からは、将来の保険として、大学への進学をすすめられたという。
「でも、やる前から失敗したときのことを考えるなんて、“ダメ前提”みたいでしょ。それがすごく嫌で」
3人きょうだいの末っ子で、姉2人はすでに大学に進学していた。まじめで優しい母と、豪快な父との5人家族で、かわいがられて育った。
「父は昔から“勉強なんてせんでええ”っていうタイプ。進学しないことについて、特に反対はされませんでした」
芸人を目指すといっても、特にお笑いに深い思い入れがあるわけではなかったそう。
「友達とふざけることが楽しくて、その延長にお笑いがあった感じです。僕は、大学に行こうが、就職しようが、お笑いに進もうが、どれも大差ないと思ってます。何を選んでも楽しいことも嫌なことも同じくらいあるし、いい企業に就職すれば安泰だとはとても思えない。だってみんな、めっちゃ大変そうですよね」
卒業後、相方ととりあえず大阪に移住。なんとなくネタを作ってみたり、のんびりバイトやパチンコをする日々が2年続いた。20歳になる年に“このままだとさすがにまずい”と、相方と上京を決める。
「お笑いの養成所に1年通ったんですけど、卒業ライブで認めてもらえないと事務所に所属できないんです。100人ほどいた同期の中から、選ばれたのは僕たち含めて5組ぐらい。このときはさすがにホッとしましたね」
晴れて事務所所属を勝ち取ったが、仕事といえば月に1度のライブくらい。同世代の芸人たちが“ビッグになりたい”と貪欲にネタ作りに取り組むのを横目に、ここでも変わらずマイペースだった。
「当時も今も、野望とかなくて。お金があるわけじゃないけど、普通に暮らせてますし」